阿鼻叫喚 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

昨年7月に、拙ブログでは戦前に支那で起きた凄惨な日本人虐殺事件・『通州事件』 について書きました。(↓)

 

 

同事件は民間日本人の有志により世界遺産登録申請がなされましたが、今日は同事件と共に是非子々孫々にその史実を伝えていただきたい、今から72年前の今日・・・つまり戦前・戦中ではなく、日本軍が降伏した後に起きた

 

 通化事件

 

について触れたいと思います。

通化とは、旧・満州国通化省通化市(現・吉林省通化市)のことであり、北朝鮮との国境近くに位置している都市。 (地図中央

 

    

 

1945年8月の終戦当時は中華民国政府の統治下に置かれており、元々約17,000人の日本人が居住していました。

 

そこに満州その他の地域から10万人以上の避難民が逃げ込んできたのです。

在留邦人が衣服や住居を提供したものの、終戦直後は当局から強制的に家屋や資産を摂取されており、殆どの日本人は困窮に瀕していました。

 

終戦直後の同年8月20日には2人のソ連兵がやってきて女学校に乱入し、1人の生徒を連れ去った上に翌日金品を要求。

 

怒ってそのうちの一人を切り殺した日本兵が逆に銃殺されるという事件も起きました。

 

更に同月24日にソ連軍が同市に進駐、彼らの命令により日本人婦女子は慰安婦として拠出されたといいます。

 

そして同年11月にソ連軍が撤退した後に同市の支配を移譲されたのが、中国共産党軍(八路軍)と、先に進駐していた朝鮮人民義勇軍(新八路軍)でした。


彼らはそれまで統治していた同じ中国人である中華民国の省長・市長ら幹部全員を逮捕・拘束し、拷問・(形だけの)人民裁判の後、全員を処刑。

 

同軍は11月に遼東日本人民解放同盟を設立し、全員に対し全財産の供出と共産党教育を強制。

 

一連の強圧・弾圧に不満を持った日本人は12月に居留民大会を開くなどしましたが、そこで最後に挨拶した、〝髭の大佐〟と呼ばれ邦人に人気のあった元関東軍・第125師団参謀長・藤田実彦大佐ら140人の解放同盟幹部や日本人遺留民会の指導者らが、翌1946年1月に拘留されてしまいます。

 

(※作家・司馬遼太郎さんは、かつて藤田大佐の部下であったとか。)


        

                  藤田 実彦 大佐

 

これに対し、大佐を奪還し中華民国の国民党員と関東軍が結託・蜂起する計画が練られ、1946年2月3日に決行。

ところが事前にその情報を察知していた共産党軍は各所で重火器を装備して待ち構えており、反攻は失敗に終わります。

 

しかも共産党軍は、蜂起した元日本兵だけを拘束するだけに止まりませんでした。

 

16歳以上の日本人男性を全員拘束、また事件に関与したと見做した女性をも連行。

 

着のみ着のままで零下数十度の戸外を針金でつなぎ合わせて市内を引き回し、途中倒れた者を容赦なく射殺。


その後彼らを8畳程の小さな部屋に120人も詰め込み、5日間も立たせたまま。

 

大小便垂れ流しのままで、中には精神異常を来たして奇声を発する者も出ましたが、その都度窓から銃撃され・・・死者は立った姿勢のままか、下に崩れ落ちても生存者の踏板状態で足元は血の海だったとか。

 

5日後に部屋から引き出された日本人は、朝鮮人民義勇軍の兵士たちに棍棒で殴りつけられて多くが撲殺されました。

 

生き残った人々も共産党軍による拷問・尋問を経て凍りついた川の上に引き出され、一人ずつ銃殺されたといいます。

 

また男性が連行され女子供しかいなくなった日本人住宅に共産党軍兵士がやってきて強姦・略奪を行ったという証言も。

 

一方藤田大佐は3階の監禁室から布団を切り裂いて作ったロープを伝って脱出したものの、2月5日に再び捕えられると市内の百貨店で共産党軍主催で開かれた 『2・3事件展示会』 に見せしめとして引き出され3日間立ちっぱなしで謝罪させられた挙句、その僅か数日後に獄中で肺炎により死亡。

 

その亡骸は市内の広場で風雪の中3週間も晒されたのです。

 

しかし実際は名前を利用されただけで、大佐は首謀者ではありませんでした。

 

反乱が決行されることすら知らず、潜伏していただけでしたから・・・。


日本政府は疑義のある南京大虐殺や朝鮮人慰安婦問題で隣国の執拗な謝罪要求を撥ねつけられない一方で、殆どが一般市民だった
3,000名以上の日本人が終戦後支那・朝鮮人によって惨殺されたこの史実を教科書に記載すらしていないのです。


私たちは、(現在我が国固有の領土を実効支配するなどして脅かしている) ロシアや特亜各国が引き起こした残虐行為を歴史上から抹殺させることなく、後世に語り継がなくてはなりません。

 

       
          
『通化事件』 (松原一枝・著 チクマ秀版社・刊)

 

ちなみに現在この通化市には、日本を標的とする核ミサイル基地(第51基地・第816導弾旅)があります。

 

 

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