スポーツ選手が現役に拘るのは当たり前・・・ですが、死ぬまでそれを貫き通すのは並大抵のことではありません。
その〝生涯現役〟を公言していたのが、男子プロゴルフ界の重鎮、
杉原 輝雄 プロ
今日は、最後までフェアウェーを歩くことに拘った彼の命日・没後7周年にあたります。
杉原プロは1937(昭和12)年に大阪府茨木市に生まれました。
小学生の時に地元・大阪の茨木カンツリー倶楽部でキャディーのアルバイトを始め、中学卒業と同時に同倶楽部に就職。
夜間高校に通いながら研修生修業を続け、1957年にプロテスト合格を果たした苦労人。
身長160cmそこそこの小柄な身体で、しかもインパクトからフォロースルーにかけて左肘が曲がるアマチュアのようなフォームゆえに、アメリカのプロから
「こっちにくれば、金持ち相手の賭けゴルフで十分稼げるゾ!」
と真剣に誘われた、というエピソードは有名。
飛距離では圧倒的に不利だった杉原プロが、パワーゴルフ全盛のプロの世界で生き抜くために人一倍の猛練習を続けたことはつとに有名。
現在のようなチタンヘッドなど存在しない時代から47インチドライバーを振り回すなど、新しいギアや技術を積極的に導入。
(一方で、パターだけは 「技術があれば換える必要がない」 と言って、ずっと同じカマボコ型を愛用していたのが印象的でしたが。)
その長年の努力の結果打ち立てた、2006年のつるやオープンにおける68歳10ヶ月でのレギュラー・トーナメント予選通過は日本ツアー最年長であるばかりでなく、サム・スニードが持つ米ツアー最年長記録・67歳2ヶ月をも上回る世界記録。
また2010年の中日クラウンズ出場で達成した51年連続同一トーナメント出場回数は、これまた世界記録。
これらの記録も凄いですが、私が杉原プロを尊敬するのは、そのプレー態度。
コースではスロープレーを嫌って若手以上に走ったりキビキビとしたプレーを披露し、常にファンを意識して洒脱なコメントを発したサービス精神は、さすが。
いつだったか、某トーナメントでラウンド後にテレビ局のインタビューを受けた際、解説をしていた1年後輩の杉本英世プロに
「お前、そんなところにおらんと、こっちに降りてきてプレーせんかい!」
と逆ツッコミ・・・ビッグ・スギを絶句させたことが忘れられません。
そして何より驚いたのはトーナメントに出場した後、必ず開催コース宛てに礼状を送っていたこと。
これ、なかなか出来ることではありませんょネ。
さすがは苦労人・・・プロゴルファーの鑑です。
松山・石川両プロなど若手の台頭で再び活気を取り戻しつつある男子プロゴルフ界ですが、杉原プロの姿勢を見習わないと再びファンは離れていくことでしょう。
そんな杉原プロが前立腺癌の告知を受けたのは、1997年。
現役生活に拘った彼は手術を拒否し、ホルモン治療を選択。
しかし最期は力尽き、2011(平成23)年12月28日に74歳でこの世を去りました。
プロ入り5年後の日本オープンでの初優勝を皮切りに通算63勝 (うち海外1勝、シニアツアー8勝) を挙げた日本を代表するプロゴルファーのご冥福を、あらためてお祈り致します。