大親分 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

群馬県内で「上州を代表する人物は誰か?」というアンケートを取ると、福田赳夫・中曽根康弘・小渕恵三ら元総理大臣を遥かに上回って、ダントツのトップに躍り出る人物は誰でしょう?

ヒントは、


「赤城の山も、今宵限りかァ~。」

 

もうお分かりですょネ・・・刀を満月に翳しながらこの名台詞を呟く、

 国定 忠治


今日は浪曲やお芝居によく登場する、この人気者の命日・没後170周年にあたります。

 

1810(文化7)年、現・群馬県伊勢崎市国定町の豪農・長岡与五左衛門の長男として生まれた忠治 (※本名=長岡忠次郎) は、17歳で早くも人を殺めたという暴れ者。

 

19歳頃から賭博に手を染め、21歳の時にはシマ(縄張り)を分け与えられていたといいます。

 

その後地元の顔役・島村伊三郎らを殺害して赤城山周辺の上州から信州まで支配権を広げた忠治の名は、大親分として関八州に轟き渡ったとか。

 

       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-国定忠治

 

しかし関東取締出役案内・三室勘助を殺害したことで忠治一家はお上から追われる身となり、赤城山で忠治親分と別れた(冒頭の名セリフが出た場面)後、多くの幹部連中は捕縛されるも本人は首尾よく会津に逃亡。

 

ほとぼりを冷まして4年後に上州に戻った忠治でしたが、中風 (※脳血管障害の後遺症による半身不随・言語障害) を煩い、匿われていたところを密告されて1850(嘉永3)年にお縄を頂戴。

 

〝大物〟ゆえにわざわざ江戸に移送され勘定奉行直々の吟味を受けた忠治は、関所破り他種々の罪状により死罪を申し渡され、同年12月21日に磔の刑に処せられ、41歳でこの世を去りました。

自らが開帳していた賭場に素人が来ると説教して追い返したり、また天保の大飢饉の際には博打の水揚げ金を民百姓に配り、縄張り間の中から一人の餓死者も出さなかった・・・など、後世では義賊のように扱われている忠治ですが、ねずみ小僧次郎吉(↓)同様その真偽は定かではありません。

 

しかしいつの世でも、お上に苦しめられる人々を我が身を投げ打って助けようとする人物はヒーローになりますし、彼を慕って集まった配下の者は2~300人もいたといいますから、魅力ある親分であった事は間違いないでしょう。

 

男心に 男が惚れて 意気が融け合う 赤城山 音譜

 

昭和の名曲・『名月赤城山』 に歌われている国定忠治の如く、魅力ある男になりたいものです。

 

あっ、もちろん同じ職業には就きたくはありませんけどネ。うー

 

 

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