〝陸上競技の華〟・・・いや〝オリンピックの華〟といわれるマラソン。
日本でも過去何人ものメダリストを輩出した人気種目ですが、昭和オヤジの私にとって最も印象に残るランナーといえば、
アベベ・ビキラ 選手
Abebe Bikila
今日は、マラソン競技で史上初のオリンピック連覇を果たした、このエチオピアの誇る英雄の命日・没後45周年にあたります。
1932年生まれのアベベは、家が貧しい小作農だったため小学校に通ったのは僅か1年だけで、その後は家業を手伝っていたとか。
19歳の時に、ハイレ・セラシエ皇帝の親衛隊に入隊。
その訓練の一環としてスポーツが取り入れられており、そこで初めて彼の優れた走力が注目されました。
スウェーデン人コーチ・ニスカネンの指導により頭角を現したアベベ選手でしたが、1960年のローマ五輪には選考会2位の成績で出場資格を得たものの、当時は全くの無名選手。
ところが本番では強豪選手を抑え、殆ど独走状態で優勝。
しかも靴を履かず裸足だったことに、世界中が驚きました。
(実はこれ、大会前に履き慣れていたシューズが壊れ、ローマで探したもののフィットするシューズが見つからなかったから・・・今では信じられない話です。)
一躍エチオピアの英雄となったアベベ選手は、皇帝から勲章を授与され、親衛隊でも兵長に昇進。
また彼の優勝をキッカケに、陸上界では以後長距離選手の高地トレーニングが主流となります。
そして4年後の東京五輪。
実は彼、この大会6週間前に盲腸の手術を受けていたそうで、関係者からは優勝するのは無理と思われていたのだとか。
にもかかわらず、蓋を開けてみれば前半20km付近から独走。
以前ご紹介した映画 『東京オリンピック』 のマラソン競技では、カメラ1台のみでの撮影を余儀なくされたため、殆ど彼の独演状態・・・あたかも哲学者の如き無表情な走りを続け、2時間12分11秒の世界最高記録(当時)で連覇を達成。
ゴール後も体操をする余裕ぶりで、同メダルを獲得した円谷選手が半ば夢遊病患者のようにゴールしたのとは実に対照的でした。
しかし連覇を果たしたアベベ選手は、以後次々と不幸に見舞われることに。
前人未到のオレンピック3連覇を期待されたメキシコ五輪は、36歳という年齢もあってかレース前半で途中棄権。
さらにその半年後には自動車事故に遭い、第七頸椎脱臼により下半身不随に。 (この事故には、彼を妬む者による陰謀説あり。)
公の場で車椅子に乗って現れた彼の姿には、少なからず衝撃を受けたものです。
その後身体障害者のスポーツ大会に参加したりしたものの、1973年10月25日・・・脳内出血により、41歳の若さでこの世を去ってしまいました。
東京五輪で国家と国民の期待を一身に背負って疾走したアベベ選手と円谷選手が共に若くして最期を迎えたことに、何とも言えぬやり切れなさを感じるのは、私だけでしょうか?
マラソン出場回数通算16回、うち優勝12回・2位1回という、不世出の名ランナーのご冥福を、あらためてお祈り致します。