朝日新聞(の本多勝一記者)が捏造し、それに支那が乗っかる形で30万人もの住民が殺されたと主張する、
南京事件
これは1937(昭和12)年に起きたとされていますが、もちろん東京大空襲の3倍もの被害者が出る虐殺など、銃や刀だけで出来るはずがありません。
しかし、今から105年前の今日起きたのは、史実に残る 『南京事件』 なのです。
南 京
支那では、1911年の辛亥革命によって袁世凱(1859-1916)が新政府の大統領に就任。
袁 世 凱
しかし彼は単に皇帝の地位を狙う野心家であり、それを不服とする孫文一派と激しく対立。
軍事力で孫文一派を抑えようとする袁世凱派の張勳(1854‐1923)が1913年8月31日に南京城内に乱入。
張 勳
翌日の9月1日から数日にわたり、南京城内で略奪・虐殺・強姦の限りを尽くし、死者数は数千人に及んだといいます。
しかも彼らは支那人だけではなく外国人居留区にも侵入。
日章旗を掲げていた日本人商店をも襲撃、少なくとも十数名の日本人を虐殺し、女性も強姦したのです。
(その戦争犯罪人たる張勳は、裁かれるどころか功績者として江蘇都督に昇格し、次いで長江巡閲使、両江総督兼南洋大臣にまで出世したのですから、呆れるばかり。)
この事実を知った日本国内では、当然怒りが爆発。
しかし支那との紛争を回避したい日本政府は、諸外国が軍を動員し報復したにもかかわらず、あくまで事を穏便に済まそうと軍の派遣すらしませんでした。
この腰の引けた対応に怒った暴徒によって、9月5日には阿部政務局長が日本国内で斬殺される事件も起きています。
相手国の暴挙に対し、ひたすら自分たちが忍耐することで穏便に事を納めようとする腰の引けた対応は、今も全く変わっていません。
日本人同士ならお互いに譲り合う精神があるからそれも解決策の一つでしょうが、相手が特亜民族の場合それが通用しないことは、歴史が証明しています。
こちらが引けばどんどんつけあがってくる相手には、力を以って断固戦う姿勢がなければダメでしょう。
命懸けで国民を守る姿勢を示さない政府になど、私は税金を払いたくありません。
ちなみに 『南京事件』 は、歴史上4回起きたとされています。
1回目が当該事件、2回目が1927(昭和2)年3月に蒋介石率いる国民革命軍が南京を占拠した際に外国領事館や日本人を含む外国人を襲撃したもの。
3回目が1937年に起きたとされる、日本で最も一般的な冒頭取り上げたもの。
個人的には、この捏造事件をカウントしたくないですが・・・。
そして4回目は終戦後の1949年に毛沢東率いる中共軍に追われた蒋介石率いる国民党軍が南京城に乱入、物資を略奪して市民10万人以上を虐殺した事件。
(※ただし当該事件に於いて日本人犠牲者はなし)
いずれの事件も、支那人の残虐性・侵略性を如実に示しています。