先月29日に拙ブログで記事した 『通州事件』 同様、今日も皆さんに拡散していただきたい〝学校で教えない史実〟のご紹介です。
※『通州事件』に関する記事は、こちら。(↓)
https://ameblo.jp/warmheart2003/day-20170729.html
皆さんは、〝樺太〟という地名や場所はご存知のことと思います。
しかし若い方は、地図を見てすぐに指差せるでしょうか?
北海道の北に位置する細長い島・樺太は、日露戦争後のポーツマス条約により北緯50度線を境に分割され、その南半分が日本領土となりました。
最盛期には約40万人の日本人が暮らしていたこの地で、今から72年前の今日・終戦直後の1945(昭和20)年8月20日に
真岡郵便電信局事件
という悲劇が起きたことをご存じでしょうか?
同年8月9日、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連軍が対日参戦。
それまで平穏だった樺太の北緯50度線を越え、戦車を先頭に南下・侵攻してきたのです。
しかも、同月15日に日本がポツダム宣言を受諾して玉音放送を流し降伏した後も、彼らは攻撃を続行。
混乱と恐怖の中で疎開命令が出され、次々と逃げる日本人達。
にもかかわらず、北洋漁業の港や王子製紙の工場で栄えていた真岡 (まおか) の郵便電信局 (※当時は電話交換業務を郵便局で兼務) に勤務していた10代を中心とする若い女性電話交換手20名が、仕事を全うすべく〝決死隊〟として最期まで残ることを申し出ます。
真岡の位置と、その全景
そして8月20日早朝から、真岡沿岸に現れたソ連艦隊が無差別砲撃を開始。
更に上陸したソ連軍兵士の銃撃や防空壕への爆弾投下などで一般住民が次々に虐殺される中、当番の女性交換手12名がいた郵便局別館にも砲弾が。
窓からソ連兵の残虐行為を見て覚悟を決めた班長以下9名が、予め所持していた青酸カリやモルヒネで服毒自決を遂げ、男性職員によって保護されたのは僅か3名。
班長が自決する直前、他の郵便局に伝えた最期の言葉は、
「みなさん、これが最期です。 さようなら、さようなら・・・。」
だったとか。
現在に至るまで、ロシア(旧・ソ連)はサンフランシスコ講和条約に調印しないまま実効支配を続けており、日本の立場では〝帰属未定地〟となっている南樺太。
ただでさえ国際法上違法な攻撃・支配をしたソ連ですが、この事件に関し我が国にとって更に屈辱的なことがその後に起こっています。
この悲劇を描いた映画 『樺太1945年夏 氷雪の門』 がジャパン・ムービー・ピクチャー社により制作され、1974年4月から東宝系劇場で上映される予定でした。
※ 『氷雪の門』 とは、北海道・稚内市の稚内公園内にある、自決した女性電話交換手9名を含め樺太で亡くなった人々の慰霊碑のこと。
当時としては破格の5億円以上という制作費をかけ、丹波哲朗・藤岡重慶・千秋実・藤田弓子ら豪華俳優の出演、そして陸上自衛隊の全面協力を得た話題作で、前売り券も大量に売れたとか。
ところが公開直前の2月にソ連当局から圧力がかかり、軋轢を恐れた東宝は止む無く上映中止を決定。
結局その年の夏、東映が北海道・九州の劇場で僅か2週間の限定上映をしただけでお蔵入りになってしまったのです。
しかし2004年、紛失していた同作品のフィルムが奇跡的に発見され、デジタル処理を施された上で制作から36年が経過した2010年7月、全国26ヶ所の映画館で上映されました。
残念ながら当時も大きな話題になることはありませんでしたが・・・。
ただ幸いにも、現在〝「氷雪の門」上映委員会〟からDVDが発売されています。
通販等で入手できますので、是非ご家族でご覧ください。
弱腰外交国家・日本の実態を憂えつつ・・・。
無法・残虐なソ連軍の侵攻により、20歳前後の若さで自らの命を絶つことになってしまった女性交換手9名のご冥福を、衷心よりお祈り致します。