今からちょうど60年前の今日、戦後復興の最中だった日本を大いに元気づける出来事がありました。
アメリカで開催されていた第8回ミス・ユニバース世界大会で、
児島 明子 さん
が日本人で初めて、いや東洋人で初めて・・・また有色人種として初めて優勝を果たしたのです。
児島さんは1936(昭和11)年に東京・世田谷で生まれました。
5歳から水泳を始めた彼女は、疎開で高知市に移住し1950年に父親を亡くし母子家庭で育つ苦労を味わったものの、高知商業高校時代は平泳ぎの選手として活躍。
そんな彼女がミスコンに出場したキッカケは、何と姉のピンチヒッターだったというから驚きます。
1953年、推薦を辞退した姉の代わりに帝国劇場で開催された第2回ミス・ユニバース日本大会に四国代表として出場し、日本代表に選ばれた伊東絹子さん(世界大会では3位)に次ぐ準ミスに。
高校卒業後上京した児島さんは、伊東絹子さんらが所属する芸能事務所と契約してモデルになると、1958年にはミス・ユニバースとミス・ワールドの日本代表を同時に選考する大会に応募し、東京代表に。
しかし日本大会直前のパレードの最中に彼女らが乗った車が追突事故に遭うという信じられないアクシデントに見舞われ、彼女は2ヶ月入院・・・当然、日本大会は棄権せざるを得ず。
しかしこの事故のおかけで、彼女は翌年のミス・ユニバース日本大会には予選免除で出場することができ、見事日本代表に。
そしてアメリカのロングビーチで開催された世界大会では、身長170cmでスリーサイズが94-58-97という、現在でも十分通用するダイナマイト・バディーを惜しげもなく披露して最終審査に残ると、アメリカやブラジル、イングランドらの白人代表を抑えて、見事優勝!
それから1年間はミス・ユニバースとして世界を飛び回って活躍し、翌年の大会で新女王にその地位を譲り、大役を無事終えました。
その後1960年に俳優の宝田明さんと結婚し二男一女を授かりましたが、1984年に離婚。
子供は全員児島さんが引き取ったそうですから、母子家庭で育った彼女が今度は母子家庭を支える立場になったわけです。
長女の児島未散さんは歌手として活動し、現在はアメリカ在住とのこと。
そして今年83歳になられる明子さんもご健在・・・近影を拝見すると、相変わらずお綺麗なようです。
彼女のあと、ミス・ユニバースで優勝した日本人女性は、2007年の森理世さんのみ。
他のミス世界大会では、ミス・インターナショナル2012年大会で優勝した吉松育美さんと、今まで3人だけ。
そろそろ世界大会で栄冠を勝ち取る4人目の日本人女性の雄姿を見たいものです。
ミスコンについていろいろ批判する向きもありますが、出場者たちはオリンピック代表選手のように栄冠を勝ち取るため日々熾烈なトレーニングや節制を重ね努力しているのですから、暖かい目で見守りたいものです。
人間にとって、美しい人や物を見るのは嬉しい事なのですから・・・。