一昔前まで、オリンピックは〝アマチュア・スポーツの祭典〟と言われていました。
私が今でも記憶しているのは、1972年の札幌冬季五輪の開会直前に、アルペンスキーの王者カール・シュランツ選手(オーストリア)が、「名前や写真を広告に使用させた」 という理由で参加資格を剝奪された事件。
当時のブランデージIOC(国際オリンピック委員会)会長は〝ミスター・アマチュア〟と呼ばれていましたが、まさにその看板通りの強権を発動した形でした。
しかし同年に開催されたミュンヘン夏季五輪後に彼が会長を辞任すると、流れが変化。
2年後の1974年には、IOCがオリンピック憲章から〝アマチュア〟の文字を削除して〝アスリート〟とし、プロ選手の五輪出場を可能に。
ただし実際に参加したのは、それから14年経った1988年のソウル夏季五輪。
男女テニスにプロ選手が出場し、シュテフィ・グラフ選手が金メダルを獲得。
そして次の1992年バルセロナ大会で、男子バスケットにM・ジョーダンらアメリカNBAのスーパースター軍団〝ドリーム・チーム〟が登場して以降、プロ選手の参加は当たり前になりました。
(とはいえ、現在でもフィギュアスケートのようにプロ選手の参加が認められていない種目もありますが・・・。)
では、日本はどうだったのか?
日本体育協会が、アマチュア規定を制定したのは1947(昭和22)年でしたが、これを改定し選手のプロ登録・賞金授受を認めた
日本体育協会スポーツ憲章
を制定したのが、今から33年前の今日・1986(昭和61)年5月7日のこと・・・IOCがプロ・アマの垣根を撤廃してから、実に12年も後のことでした。
ただこの憲章の文章が、実にあやふやというか・・・条文では
「本会の加盟競技団体の登録競技者に対する規程は、当該団体がその責任において設けるものとする。」
「本会の加盟団体は、この憲章に基づき独自の競技者規程を制定する。」
つまり、プロ選手の参加を認めるかどうかを各競技団体に丸投げしたのです。
ですから選手は各競技団体との交渉をすることになったのですが、プロ化の流れを大きく変えたのは、この憲章が制定されてから10年後の1996年。
バルセロナ五輪の女子マラソンで銅メダルを獲得した有森裕子選手が、プロ宣言をしてから。
皆さんもオリンピックの有望選手がテレビCMに出演する〝がんばれ日本キャンペーン〟をご覧になった事があるでしょう。
これは日本オリンピック委員会(JOC)が各競技団体の肖像権を一括管理して、JOCが指定したオフィシャルスポンサー企業にだけ広告代理店(電通)を介してCM出演を認め、スポンサーが支払った協賛金を選手強化資金に活用する、と言うシステム。
有森選手は、プロ宣言をしたことで自らの肖像権を自主管理し、CM出演料を手にすることができるようになったのです。
これがある意味日本スポーツ界の流れを大きく変えるキッカケになりました。
その後現在に至るまで、体操の内村航平選手など複数の選手がプロ宣言を行うようになりましたから・・・。
とは言え、野球やサッカーのようにプロ球団と契約して年俸をもらえるということではなく、スポンサーと個別契約を結ぶ形。
契約内容にもよりますが、陸上や体操のようにケガが多く選手生命が短い競技だと、いくらプロ選手になっても将来的に安定した生活が保障されるわけではありません。
その昔、東側の社会主義国ではオリンピックの金メダリストになれば生涯安定した生活が保障されました。
そこまでとは言いませんが、オリンピックでメダルを獲得した選手には名誉や一時的な報奨金(※リオ五輪では金メダル500万円・銀200万円・銅100万円)だけでなく、ある程度将来的な生活保障をする制度があっても良い・・・それが(特にマイナー)競技人口の底辺拡大にもつながると私は思うのですが、如何でしょうか?