今時の若者にはちょっと考えられない事でしょうが、私を含めた中高年世代には懐かしい響きがある〝学生運動〟。
学生が学帽の代わりにヘルメットを被り、本の代わりに角材を手にキャンパス内で暴れまわった一時期がありました。
そのハシリとなったのが、いわゆる
東大紛争
ですが、この日本最高学府を舞台に起きた学生と学校側の衝突・・・すなわち学生が無期限ストを決行したのが、今からちょうど50年前の今日・1968(昭和43)年1月29日のことでした。
1960年代後半に入り、全国の大学医学部の学生・インターンによってインターン制度廃止を軸とした研修医の待遇改善運動が起きましたが、その中心となっていたのが、東大医学部でした。
そしてこの日、医学部学生大会が開かれ、登録医制度や研修内容改善を掲げて無期限スト突入を決議。
同大医学部は紛争状態に突入したのです。
まぁ個人的には学生のストって何だかよく分かりませんが、いずれにせよ大学側と学生側が対峙したことは事実。
翌月学生と医局員の衝突事件が起きましたが、この際に大学側が処分した学生・研修医17名の中に無関係の学生が1名いたことで、紛争は激化。
3月に行われるはずの同大卒業式は中止となり、更に6月には安田講堂を占拠した学生排除のため、大河内総長はキャンパス内に機動隊を入れ、彼らを排除。
しかし学生側は東大闘争全学共闘会議(東大全共闘)を結成し、教養学部も無期限ストに突入し、泥沼化。
11月には大河内総長・全学部長が辞任し、12月には入試中止が決定・・・大学は完全にマヒ状態。
そして翌1969年1月18~19日に東大紛争の最大のヤマ場・・・学生と機動隊の全面対決となった 『東大安田講堂事件』 が勃発。
一連の東大紛争は、この安田講堂制圧と600人以上の学生が逮捕されたことで急速に収束に向かいました。
ちなみにこの事件で逮捕された学生の内、東大生は警察発表で僅か38人、全共闘側の主張でも100人程度だったとか。
いかに東大以外の左翼分子が入り込んでいたかが分かります。
またこの東大紛争中、学内にあった貴重な書物がストーブ代わりに燃やされ、また貴重な鉱石・化石の標本が投石に使われ大量に紛失するという大きな損失を出しています。
この東大紛争の収束と共に、日大など他大学での闘争も下火に。
彼らを裏で指揮した極左グループはその後地下に潜る形となり、1970年代に入って三菱重工ビル爆破事件やあさま山荘事件などテロ・殺人行為に走ったことで、急速に国民の支持を失っていきました。
現在沖縄で米軍基地移設反対運動などで暴れているプロ市民は、その残党と言えるでしょう。
彼らの多くが沖縄県民ではありませんし・・・。
半世紀経って当時の熱病の如き学生運動を顧みると、確かに学費値上げやベトナム戦争反対運動など様々な要素で当時の学生に不安・不満が蓄積されていたのは事実でしょう。
その彼らの不安を煽ったのは、やはり新聞・テレビなどのメディアだったことは確か。
当時国民の情報収集ルートはそれしかありませんでしたから、彼らがそれに惑わされたのは無理もなし。
しかし現在はネットで様々な情報が入りますから、学生や若者が一方向に流されることはないでしょう。
昨年あたりから反日左翼メディアが盛んにネット批判を繰り返していますが、それは彼らがこの当時のように安易に若者を扇動できなくなった焦りの裏返し。
どう足掻いても、マスメディアに半世紀前程の影響力はありません。