面積が日本の22.5倍に相当する851万1,965㎢、人口が約2億800万人と、それぞれ世界第5位。
人口比率が欧州系(約48%)、アフリカ系(約8%)、東洋系(約1.1%)、混血(約43%)、先住民(約0.4%)という、まさに人種のるつぼというべきこの国は、どこ?
ヒントは、昨年オリンピックが開催された・・・って言えば、すぐ分かっちゃいますネ。 そう、正解は
ブラジル連邦共和国
Federative Republic of Brazil
同国がポルトガルから独立したのが、今から195年前の今日・1822年9月7日のことでした。
地球の裏側に位置する距離的には遠い国ですが、昔から移民が多く渡ったこともあり日本との関係は近い国。
また個人的には生まれて初めて海外の地として降り立った場所として思い出深い国なんです。
ということで、拙ブログでは今日から数日間にわたり、備忘録を兼ねてのブラジル体験記とさせていただきます。
◆ ◆ ◆ ◆
今でこそ小さいお子さんでも気軽に海外旅行に出かける時代ですが、私が初めて海外に出かけた当時は1ドル=250円前後の円安時代。
オーバーに言えば、〝決死の覚悟〟みたいなところがありました。
そんな私の海外初体験は今から38年前・・・私が大学3年・21歳になりたての頃のこと。
翌年に東京で開催される 『世界アマチュア野球選手権大会』 に南米代表として出場権を得たブラジルから、日本に対して 「アマチュアらしい(?)チームと試合をしたい」 という申し入れがあり、何故かそのお鉢が私の所属していた全日本学生準硬式野球連盟に回ってきたのです。
幸運にも私はその全日本チームのメンバーに東京六大学リーグから選抜され、初の海外旅行 ジャナカッタ 海外遠征に加わることに。
着慣れぬ日の丸付きブレザーに身を包み、遠征前の合宿先に集合。
2日間の練習を経て成田空港へ・・・そして飛行機は当時〝世界の翼〟といわれた、憧れのパンアメリカン航空のジェット旅客機でした。
それまでは、国内線に2度程乗っただけの私。
機内に入ると乗客の過半数が外人さんで、当然の如くスチュワーデスは全員アメリカ人!
妙に緊張して、大人しく席に座っていたことを憶えています。
成田からニューヨーク、そして乗り継ぎのためケネディ空港で3時間待たされてからリオデジャネイロ経由でサンパウロへ。
延べ約27時間、機内食を5回も食べる長旅でしたが・・・忘れられないのは、リオに向かう機内でのこと。
ニューヨークまでは満席だったものの、リオ行きの便はガラガラ。
乗客は窓に近い両側サイドのみで、真ん中の4席はほぼ無人。
眼下には大蛇のように悠然とうねるアマゾン川を見下ろせたものの、長時間機内に閉じ込められて疲れたメンバーはそれぞれ席を離れ、真ん中のシートの肘掛けを上げてゴロンと横になってました。
その時メンバーの1人が長時間の禁煙時間に耐えられず、こっそりタバコに火をつけてプカ~ッと吸っちゃったんですね。
そうしたら、それを見つけた美人(だったと思う)のスチュワーデスさんが、ズカズカッと彼に近づいて来たんです。
※注・実際はここまで美人じゃなかったです。
そしてニコリともせず、
“ Hey you! No smoking!! Do you understand? ”
と、これ以上ないシンプルな英語 and 強い口調で怒鳴りつけました。
いきなり怒られた彼はあまりの剣幕にビックりして、「ソ、・・・ソーリー、ソーリー」 とペコペコしながら慌てて火を消す始末。
実はこのスチュワーデスさん・・・何人も身長180cm以上ある我々全日本メンバーの誰よりも体が大きかったんですョ。 デ、デカッ!
(女性でこんなに体が大きくて怖いんだもの。
そりゃあ、アメリカと戦争したって勝てるわけないワ。)
と、妙に納得したものです。
でもニューヨーク便のスッチーは洗練された感じでしたけど、何故かリオ便にはアマゾネスチック(?)なおネエさん、というかお姐さんが多かったような気がしましたけどネ。
それ以降外人CAを見るたび、私はあの赤鬼みたいに怒った金髪のスチュワーデスさんを思い出すのです。
さて、いよいよ地球の裏側に到着した私・・・そこには未知の世界が拡がっていました。
・・・To be continued!