今も昔も、国のトップには中々庶民の声は届きません。
それでも過去には、平民の声に耳を傾けようとした心ある為政者もいました。
その方法として最も有名なのは
目 安 箱
ではないでしょうか?
戦国時代に北条氏や武田氏でもこれを設置した史実はあるそうですが、最も有名なのは徳川幕府8代将軍・吉宗でしょう。
彼が初めて江戸市中にこれを設置したのが、今から294年前の今日・1721(享保6)年8月2日だったそうな。
(※ただし当時は目安箱という名称はなく、単なる〝箱〟・・・目安箱という名称は明治政府以降に使われるようになったとか。)
毎月3回・・・2・11・21日に現在の東京駅北口近くにあった江戸城・辰の口評定所前に設置され、投書は将軍吉宗自らが検分したといいます。
投書は日常生活の不満など何でも直訴させていましたが、おそらくあまりに数が多かったのでしょう・・・やがて条件がつけられるように。
◆ 政治に関する意見
◆ 役人の悪事・不正に関する情報
◆ 訴えたにもかかわらず状況が変わらない放置案件
更にその訴状に住所・氏名が明記されていない場合は、全て破棄されたといいます。
記名式でお上に意見する・・・現代でもなかなかできないのに、切り捨て御免の時代に平民がそれをするには、相当の覚悟が要ったことでしょう。
それでも勇気のある人はいたんですネ。
「享保の改革で贅沢を禁じ倹約を勧める経済政策を行ったのは間違い。 お金は使って回すべし!」
という直言をしたのが、山内幸内という浪人。
将軍の施政をダイレクトに批判したのですから、下手すれば打ち首もの・・・ですか、そこは名将軍として誉れの高かった吉宗。
彼を処罰するどころか非常に喜び、この訴状を書き写させて三奉行に保存させたとか。
他にも小川笙船という町医者が病院を建てる意見を出し、これがTVドラマ 『大岡越前』 でも登場する小石川養生所の設置や、その他町火消しの整備にも繋がったそうですから、設置の価値は十分にあったといえましょう。
「あ~あ、江戸時代は良かったなァ。 それに比べて今は・・・」
なんて嘆いている、そこのアナタ。
現代にも目安箱はあるんですョ。
千代田区霞が関3-2-1にある金融庁の2階ロビーに 『大臣目安箱』 が設置されているんですって。
提言したい方は、金融庁のHPから 『大臣目安箱』 に進み、所定のフォーマットで記入して投書してください。(↓)
< http://www.fsa.go.jp/meyasu/index.html
>
ただし内容は〝金融行政一般に関する提言〟に限られるそうですから、「総理大臣辞めろ!」なんてのは受け付けてくれません。
将軍・吉宗のように、大臣がちゃんと目を通してくれればいいのですが・・・役人経由だと、自分たちに都合の悪い意見は殆ど握り潰されちゃうかも?