気 概 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

首都高速八重洲線・京橋JCTと汐留JCTの間を結ぶ東京高速道路・・・通称〝KK線〟を走っていると、銀座8丁目あたりでゴツゴツとした出っ張りやヘコミで異彩を放つ建物を目にします。


              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-中銀ビル


サイコロかブロックを子供が無造作に積み上げたような、この 『中銀カプセルタワービル』 を設計したのが


 黒川 紀章


今日・10月12日は、この世界的建築家の命日にあたります。


1934年に愛知県に生まれ、1957年京都大学工学部建築学科卒業後、東京大学大学院に進学。

世界的建築家・丹下健三氏の研究室に入り門下生に。


大学院在学中の1959年には他の仲間とともに、(社会変化や人口増加に合わせて有機的な都市の成長を目指す)〝メタボリズム〟理論を提案。 


そして1962年に「黒川紀章建築都市設計事務所」を設立するなど、若い時分から積極的な活動を展開しました。


大阪万博やつくば博のパビリオンや軽井沢プリンスホテル東館、海外でもクアラルンプール国際空港など多くの設計を手がけ、高い評価を受けました。


今では多くのサラリーマンが利用する 「カプセルホテル」 を、初めて設計したのも黒川氏なんのだそうです。驚き顔 ヘェ~


              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-黒川紀章


とは言うものの、私にとって黒川氏に関する印象深い出来事は2つ。


まずひとつは、女優・若尾文子さんとの結婚。


TV番組で競演したことがキッカケとなり、前妻と別れての再婚だったのですが、建築家らしく彼女の美貌を 「バロック芸術」 に例えたのが印象的でした。


それともうひとつ・・・2007年に新党を立ち上げて4月に都知事選、7月に参院選に立候補したこと。


ガラス張り(?)の選挙カーを作ったりヘリを飛ばしたり、とマスコミ受けする選挙活動を展開しましたが、敢えなく落選。


私には 「何で今更?」 と唐突な印象を受けた立候補でしたが、聞けば黒川氏は以前から政治団体の幹部を務めるなど行政に高い関心があったとのこと。


参院選落選後の僅か3ヵ月後・2007年10月12日、73歳でこの世を去った黒川氏。


死因は心不全と発表されましたが、直前の様子を見る限り何らかのガンに侵されていたことが推測され、唐突な立候補は氏が自らの余命を知った上での決断だったともいわれています。


当時黒川氏が発表したマニフェストには合理的な政策も掲げられており、その後の選挙に立候補した多くのタレント候補など比較にならぬ程の信念を、そこに感じることができます。


過去の栄光に囚われず、自らの政治信念を実現するため命を削って立候補した黒川氏の気概は天晴れといえましょう。


惜しむらくは、派手なパフォーマンスばかりが報道されて、その信念が十分有権者に伝わらなかったことでしょうか。


世界的に名を馳せた天才建築家のご冥福を、心よりお祈り致します。笑3



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