歌舞伎・浄瑠璃の演目として、今もって人気の高い儚き恋物語、
『八百屋お七』
主人公のお七は実在の女性であり、今日・3月29日が命日なのです。
下総国千葉郡(※現在の千葉県八千代市)に生まれたお七、後に江戸の八百屋太郎兵衛の養女になったことから、後世に 「八百屋お七」 と呼ばれることになります。
天和2(1683)年の大火によって近くの寺に非難したお七は、そこの小姓・吉三郎 (※生田庄之助あるいは左兵衛との説もあり) と出会い、一目惚れ。
武士と町人の叶わぬ恋なれど、どうしても愛する人に会いたいと願うお七は、町の与太者に 「火事を起こせば会える」 と唆されて放火・・・しかし恐くなったお七は自ら火の見櫓に登って半鐘を叩きます。
付け火は当時死罪となる大罪。
お七は捕らえられ奉行所の吟味を受けることに。
当時の町奉行・甲斐庄正親は事情を知って彼女を哀れみ、15歳未満の者については罪一等を減じる定めを適用して助命しようとします。
「お七、その方は今年十五と言うておるが、本当は十四であろう。」
しかしお七は、奉行の気持ちを知ってか知らずか
「いいえ、間違いなく十五でございます。」
そう答えた彼女に最早助かる術はなく・・・天和3(1683)年3月29日、鈴ヶ森刑場で火刑に処せられました。
世の哀れ 春ふく風に 名を残し
おくれ桜の けふ(今日)散りし身は
15歳にならずしてこの辞世の句を残したお七は、自らの恋が叶わぬ運命と知った上で死罪を受け入れた、既に立派な大人の女性であったのか?
あるいはまだ奉行の心情を察することができない、ウブな小娘であったのか?
・・・今となっては知る由はありません。
余談ですが、彼女が十五歳と言い張ったせいなのか、丙午(ひのえうま=1666年)生まれであると思われ、以前からあった 「丙午生まれの女性は気が強い、男を食い殺す」 という迷信に拍車をかけることにもなったようです。
1966年の丙午では出生率が大幅に下がったそうですが、さすがに今ではこれを信じる人は少ないでしょうネ。
もちろん私も信じてません。
だって我が女房、丙午生まれじゃないのに・・・あっ、いや、その・・・。