国際人 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日・10月15日は、我が国の生んだ国際的な教育者の命日にあたります。

1984~2007年まで、5千円札の顔になった方・・・といえば、もうお分かりですょネ。


 新渡戸 稲造 


新渡戸氏は、1862年に盛岡市内に士族の三男として生まれました。


一族は祖父の代から水路の掘削事業などの開発事業を手掛け、大変優秀な家系だったようですが・・・代々〝直言居士〟の性分だったらしく、藩内での待遇は良くなかったようです。


5歳の時に父を亡くすも勉学の意思は衰えず、19歳で叔父を頼り上京。 

東京外国語学校、東京英語学校を経て、札幌農学校に入学します。


当初はいくつもの武勇伝を残す硬骨漢でしたが、キリスト教徒となってからはガラリと人間性が変わり、あだ名を〝モンク(修道士)〟とつけられる程の変貌ぶりだったとか。


「太平洋の架け橋になりたい」・・・東西思想交流の橋渡し役になるという意思を固めた新渡戸氏は、東京大学入学後アメリカ・ドイツに留学。 


              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


その後は東大・京大の教授や拓殖大学の学監を務めるなど教育者として活躍する一方で、国際連盟の事務次長に就任・・・まさに 「世界の架け橋」 として活躍されました。


しかし晩年は自身の発言から日本国内だけでなくアメリカでも誤解を受け、世界的な政情不安定期と重なったこともあって大変苦しい状況に・・・直言によって冷遇を受ける、という新渡戸家の歴史はまたも繰り返されてしまったようです。


1933年10月15日、カナダでの会議に出席後現地で倒れ、71歳で天に召されました。


さて新渡戸氏といえば、38歳の時に執筆した著書・『武士道』 が有名。


ある時ベルギー人法学者との会話で、「貴方のお国の学校に宗教教育がないならば、どうやって道徳教育を授けるのですか?」 と指摘され、これに即答できなかったことがキッカケで書いた・・・と新渡戸氏自身が述懐しています。


          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-武士道


日清戦争に勝利した直後で、諸外国の人々が日本(人)に対して関心を抱いた時期に英語で出版された同著は大ベストセラーになり、世界中に日本人の高い精神性を知らしめました。


アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトも同書を読んで感激し、これがきっかけとなって日露戦争停戦の調停役を買って出た、ともいわれています。


しかし残念ながら戦後の日本は、同著で綴られている「義」、「礼」、「誠」、「忠義」などは悉く失われ、「エコノミック・アニマル」 などと揶揄されるまでにその人間性・道徳性の評価を下げてしまいました。


学歴に偏重した戦後教育の誤り、経済至上主義、欧米型権利主張の導入等々・・・様々な理由はあるでしょうが、今こそ私たちは過去の反省に立ち、再度世界から尊敬されるべき徳性を身につける自助努力をすべきではないでしょうか?


同著の原題は、THE SOUL OF JAPAN


ここに新渡戸氏の想いの全てが込められているような気がします。



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