発達障害の回想 [ Memories of a man with Developmental disability ]

発達障害の回想 [ Memories of a man with Developmental disability ]

ある発達障害者の経験を記録するためのブログです。
散文で記載していくので、順番通りではなく、エピソードを連ねる形式になります。
私は最近の検査の結果、発達障害と診断されました。それまで20年ほどは他の精神疾患の診断を受けていた経緯があります。

 自分の経験を主観で記録する感覚で書いています。そのため順番もバラバラで部分的に読んでも何を書いているのか分かりづらいかと思いますが、申し訳ありません。文章がたまってきたらどこかで整理できればと考えています。気になることがありましたら直接メッセージでお尋ねください。
Amebaでブログを始めよう!

 どれほど思想的に変ろうとも、高校生には社会はもちろん、自分の生活範囲でさえも変えられる力は持ち合わせていない。あくまで社会で決められたレールに沿って進むことしか許されてはいない。そのレールから外れた生き方を選ぶことは、かえって人生の選択肢を狭められることになってしまう。より幅広い選択肢を得るためには決められたレールに従うしかないというパラドックスがそこには存在する。

 

 だからこそ、変えるとするならば自分自身の心の中でしかない。できる限り表に出ないように。具体的な行動には移さないように、イデオロギーのみを構築するしかない。内なる炎は往々にして、外側で燃やすよりも盛大な火炎へと膨れ上がりがちになる。たとえ自分自身であっても抑え切れるものではない。

 

 「学校を代表とする公教育の主張するものは正義だとは限らない。」こう考えるだけでも大きく異なってくる。面従腹背という能力を手に入れたのも高校時代の特質だった。これが大人に近づくというものなのであろうか。

 

 大学受験へ向けた成績至上主義からは逃げられない中でも、着々と独自の思想を形成してきた。週末にはまだ電化されていない田舎の鉄道を利用して、より大きな書店へ通うことが至上の価値を持った。本を選ぶ能力。これは唯一にして最大の能力へと成長した。

 

 不思議と私の思想、イデオロギーとしての成長は大学受験にはマイナスにはならなかった。一般的には、余計な思想の介在は邪道にそらす悪者とみなされるのが常なのだが、そうならなかった。思想を形成することでアイデンティティーもしくは自信へと昇華されたのかもしれない。また、リテラシーが飛躍的に向上することで、高校の教員レベルの授業が大したものではないのだと感付き始めていた。このことも自分を形成していく中で、邪魔な成績至上主義を心のうちで排除することに役立ったのだと考えてられる。

 

 読書に没頭することで、学力としてはかなり向上していった。それでもテストの点数にはどうしても反映されない部分がある。いわゆる「小テスト」と呼ばれていた類で、毎週、英単語や熟語、古文の文法やらを暗記することを課せられ、その成果をテストされる。なんらの理屈も理論も必要ない暗記テストである。この小テストではどうしても合格ラインを越えられないでいた。何の理屈も必要としないのだから、周囲からするとただただ私が怠け者に見えてくる始末でしかない。

 こうして小テストは私への叱責のフラグと化した。一人だけ新任の英語教師が、私がこうした短期記憶ものを苦手にしているようだと気付いたのだが、だからとしてどうしようもない。新任教師ではいくら才能があっても発言権は無いに等しい。学校としての方針に変化を加えることは難しい。小テストの連続実施という悪夢は止むことがなかった。本当に夢に出てくるような悪魔の情景であった。

 

 叱責とは失敗に対してなされるものだ。失敗ばかりの高校生活ではすっかり自信喪失、いやさらにその向こう側にあるような鬱屈した人生観を抱くしかなくなる。思春期にこんな経験を積み重ねることは実に手厳しい。這いあがれなくなる。その気力から根こそぎ奪ってしまうからだ。

 そしてこんな高校時代の記憶が消えることはない。鮮明にそれらの光景が繰り返して再生される。実に鮮明で、つい昨日のことのような錯覚に陥る。私をいつまでも苦しませている。

 「倫理」の授業は受験5科目と呼ばれた国数社理英に含まれる社会科のひとつであるが、受験科目としては重視されていなかった。よって授業も2年生の時に週1コマでしかなく、それも1年間を通しては実施されなかったように記憶している。

 振り返ってみると、倫理の担当教師は50代の男性だったが、かなりの教養を備えた先生だったのだと推測される。そうした教師が受験という中に埋もれて、伝えるべき教養を授業できる機会を得られなくなることは、教育によって本末転倒になってしまう。

 

 ともかくもその教師が出した課題とは、倫理の教科書に取り上げられている人物を1名選び、その人物に関する著作を読んで新聞形式のレポートを作成する、というものであった。

 この課題で私が選んだ人物というのが、古代中国の思想家、老子・荘子であった。ここで老荘思想と出会い、私の読書人生が始まりを迎えた。

 なぜ老子・荘子だったのかははっきりと覚えていない。三国志はテレビゲームをきっかけに好きになっていて、古代中国史に惹かれてゆく素養ができていたのかもしれない。

 田舎の書店で老荘思想に関する本を探すのは苦労したが、やっとのことで一冊、老子と荘子のダイジェスト版と解説を収録した本を手に入れることができた。早速読み始めたのだが、最初のくだりから特殊な衝撃を感じ始めていた。

 

 老荘思想とは受験戦争という競争社会とは対極にある。無為自然を尊び、正しい道だと信じていても本当に正しいかどうかはわからない。だからこそ正しい道に全力を注ぐことへの危うさを説いている。自然なまま、あるがままを受け入れることが重要だとしている。

 「絶対的な価値観に疑いを持つ」そんな老荘思想に衝撃を受けたのだった。それは成績、テストの点数が絶対的な価値を持つ受験戦争中に疲れ果てていた私の精神を癒したのだった。

 

 それまで正体不明の窮屈感から解放するかのような効果を発揮してくれた。一瞬で中毒症状を生み、それに依存していくことになる。ただし知的好奇心が高かったためか、他の中国思想にも手を出し始めていた。かくの如くして私の周りには古代中国史や思想の書籍が増えていった。だがそれはひとつの思想に固執しないダイバーシティな考え方を醸成するものであった。

 進学校とひとつの宗教団体のような存在だと思う。科学的に考えることが難しい。進学校の生徒として内部にいる時には当たり前のことであっても、卒業して外部の立場から眺めていると、いかに非科学的でおかしくなるような集団だったのかと、感慨深くならざるを得ない。

 とにかく価値観が大学入試に集約している。受験に必要のないことは徹底的に軽視されている。たとえ必修科目であっても、形式的には単位を取ったことにされ、受験のための時間に入れ替えられる。もちろん不正なのだが、正義だという価値観で動いているから誰も気にする様子もない。大学へ進学することはその人の将来のためになるという大義名分さえあれば何をしても許されるという無法地帯となっている。崇高な目的の達成のためには、不法行為や非道徳的な行為も必要悪として認められるということはいつの時代であっても見受けられることだ。現代のような整った法治国家であっても例外とはならない。

 

 いやむしろ現代は法治国家の後退期にあるのではないだろうか。インターネットによる情報化社会では自分勝手な大義名分が無数に生み出され混じり合っている。社会とはだんだんと無法地帯を目指すのが真の姿なのかもし知れない。

 

 このような世の中を私は生き続けることができるのだろうか。高校という小さなコミュニティの無法地帯ですでに不適応だった事実からすれば、この世の中を生きることは途方もない艱難辛苦が待ち受けており、無理だと判断せざるを得ない。

 

 とにかく悩んでいた高校時代だった。悩みの原因は「無知」であり、無知ゆえに何に苦しんでいるのかをも把握できずにいた。

 ぼんやりと白い塊が脳天にのしかかってくるイメージがあるのみで、ただ息苦しいとしか感じず、それに対して無力であり、何の対処法も知らなかった。

 

 こうした私の態度に変化が現れたのは「倫理」という科目で担当教諭が出したある課題により始まる。