進学校とひとつの宗教団体のような存在だと思う。科学的に考えることが難しい。進学校の生徒として内部にいる時には当たり前のことであっても、卒業して外部の立場から眺めていると、いかに非科学的でおかしくなるような集団だったのかと、感慨深くならざるを得ない。
とにかく価値観が大学入試に集約している。受験に必要のないことは徹底的に軽視されている。たとえ必修科目であっても、形式的には単位を取ったことにされ、受験のための時間に入れ替えられる。もちろん不正なのだが、正義だという価値観で動いているから誰も気にする様子もない。大学へ進学することはその人の将来のためになるという大義名分さえあれば何をしても許されるという無法地帯となっている。崇高な目的の達成のためには、不法行為や非道徳的な行為も必要悪として認められるということはいつの時代であっても見受けられることだ。現代のような整った法治国家であっても例外とはならない。
いやむしろ現代は法治国家の後退期にあるのではないだろうか。インターネットによる情報化社会では自分勝手な大義名分が無数に生み出され混じり合っている。社会とはだんだんと無法地帯を目指すのが真の姿なのかもし知れない。
このような世の中を私は生き続けることができるのだろうか。高校という小さなコミュニティの無法地帯ですでに不適応だった事実からすれば、この世の中を生きることは途方もない艱難辛苦が待ち受けており、無理だと判断せざるを得ない。
とにかく悩んでいた高校時代だった。悩みの原因は「無知」であり、無知ゆえに何に苦しんでいるのかをも把握できずにいた。
ぼんやりと白い塊が脳天にのしかかってくるイメージがあるのみで、ただ息苦しいとしか感じず、それに対して無力であり、何の対処法も知らなかった。
こうした私の態度に変化が現れたのは「倫理」という科目で担当教諭が出したある課題により始まる。