加藤木朗のとっぴんぱらりのぷう

加藤木朗のとっぴんぱらりのぷう

WARIKI blog
うたごえ新聞の連載記事です

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口からでまかせと言うと語弊があるかもしれないが、オバちゃんから夜寝る前に聞いた話は、とりとめがなかったり、有り得ない設定だったりした。夜の暗さが、山姥や、赤や青の鬼ヶ島の住人の気配を濃厚にして、トイレに行くのをためらわせたりして閉口したが、それでも、布団の中の安心感からか「それからどうしたの」「もっと話してー」と、六人一部屋の子どもらが口をそろえて話の続きをせがむものだから「じゃ、あともう少しだよ」仕方なく話が続けられる。絵本であれば、毎回同じ顛末になるのだが、私たち子どもを寝かしつけようとして話をするので、豆電球の明かりがポツンと灯っているだけ、字は読めない。桃太郎が竹から生まれてきたり、イヌやキジの代わりに、六人のうちの誰かがお供について行ったりしちゃうオバちゃんのでまかせ話を、ことによったら自分も登場できるのでは?と、いつ訪れるかわからない出番をハラハラドキドキしながら待っていた。中々寝ようとしない私たちに手を焼いて、「とっぴんぱらりのぷう」と言って話を終わらせようとするのだが、私らは「わー」と声をあげて、その言葉を打ち消して、豆電球みたいな目をぱっちりと開けて「それからどうしたの」と話しのおねだりを延々と続けた。早く子供らを寝かしつけてしまおうとの思惑が外れて、やけくそになったものか、そんな時のでまかせ話は一層熱を帯びる。「でまかせ」と言ってしまうと印象があまり良くないが、感性や美学をもとにして、言葉を「出る」に「任せる」と分けて書いてみると、見たこともないような景色や、行ったこともない海の底や空の上の国々を作って、そこにみんなを連れて出かけて行き、力を合わせて困難を乗り越えたり、知恵を絞って大きな力に立ち向かったりした夜の物語が、いまだに私の中できらきらと輝き続けて、私の舞台づくりのもとになっているのだと気付く。舞踊は体を動かしての、音楽は楽器を奏でて、歌や言葉は声の表現だ。日本の芸能で伝えられてきたこれらの表現は、特別な訓練から生み出されることよりも、暮らしや仕事など、日々の営みの中で培われたものが多いと思う。私はそんな芸能を愛していて、舞台で歌い踊れることに幸せを感じている。うたごえ新聞の読者の方々には、私のとりとめもない口から出まかせの拙い話にお付き合いいただき、本当に感謝しております「とっぴんぱらりのぷう」

 

お米まだあるよ!返信があって電話が鳴った。私は劇団で育ったので、兄弟姉妹のような者が大勢いるのだが、そのなかでも取り分けて親しいのが総君だ。今は、備前焼の作家として作陶したり、割り木(イントネーションは違うがわりきと読み、私のやっている和力と読みが同じため、備前のあたりを訪れると、庭先に規則正しく積んである焚きものたちに、私は人知れず親近感を持っている)購入のためにバイトしたりしながら岡山県に暮らしている。総君からは、窯焚きがあって新作が出来るたびに、お茶わんやお皿をもらっている。その代わりに、うちで穫れた米を送っている。その総君からの電話だった「今度いつ窯焚きするの」とたずねると「まだ作品がたまっていないし、割り木ももう少し買い足して、長めに焚こうと思っている」という。そして「長く火の中にいると、それだけで出てくる貫禄みたいなもんがあるんだよ」と続けて「形ばっかりじゃダメなんだよな」と締めくくった。伝統工芸の備前焼だから、当然、他とは違う備前らしい形や型がある。そして、作陶家個々人が、その備前焼の範疇で個性を出す。私は、細かいところまで形や型の決まっている素材(私の場合は芸能)に向き合った時、そこに自分らしさを出せなければ、伝統の重みや居心地の良さに埋没してしまうと感じている。お米は研いで炊くものと決めつけているが、お米はリゾットにしてもおいしくいただけるし、最近は米粉のパンもあるではないか。「これはこうするもんだ」という決めつけは、面白くなる可能性の芽を摘む。先人が伝えて来たものと言う絶対的な自信と安堵感からなされ、される側には没個性をうながす「これはこうするもんだ」は、舞台には必要のない考え方だ。私が舞台に立たせていただくようになって32年が経つ。総君から聞いた「長く火の中にいると貫禄」に当てはめると、私にもそのようなもんがついても良さそうだが相変わらずの体たらく。週に二回ほど、家から二時間ほどかけて名古屋に伺う。お稽古は夜の7時から始まり、終わると9時頃になっている。二時間も太鼓を打つと結構疲れる。先日の稽古終わりでは、後部座席に乗り込んだ途端に「アー疲れた疲れた」と言ってごろりと寝ころんでしまった。私ではなく弟子がだ。「おつかれさまでしたー」言葉と裏腹、ハンドルを握る私の気持ちはわりきれない。※総君の作品は和力HPでご覧頂けます。

 

「5分押しまーす」と舞台監督が言って回る。「押す」と言うのは、伸ばすということだ。開演時間が19時と告知してあれば、「開演時間を19時05分に伸ばします」と、言葉を端折った業界用語で周知しに来たことになる。しょっぱなに自分の出番があるときは、この「押しまーす」はありがたくない。時間通りに電車やバスが来ることに慣れ切った日本のお客様が「押された」ことで、苛立ってしまい、心を閉ざしてしまうからだ。お客様はチケットを購入して下さってもいるので、その苛立ちは、ほぐさなくてはならないし、閉ざされた心はこじ開けなければならない。だから、舞台監督が「押しまーす」と言って回っているとき、これから自分に訪れるであろう過酷な運命を思って目が回る。お客様の苛立ちは、客席のざわめきとなってあらわれ、空気が乱れ、若干、風紀も乱れる。「アラ?チラシに開演時間19時って書いてあるけど、午後7時の事よね」着席されたお客さまが、15人くらいに聞こえる声で言うと「19時って、まさか夜の九時じゃないわよね」それを聞いた人が、少し声のトーンを上げて30人くらいに聞こえる声で言う。それを聞いた人が「九時なら私、もう布団に入っちゃってるわよ」と50人くらいに聞こえる声で言うと「アラあなた、そんなに早く布団に入って、イヤラシー」100人参加。「ちょっと、アナタなに変なこと想像してんのよ」200人参加。「変な事なんて想像してないわよ、変な事してるのアナタじゃない」400人参加。「何言ってんのイヤーね、昨日はしてないわよ」会場中が参加。このくらいのところで出て行けたなら、拍手もいただけるのだが、この間を逃すと、苛立ったお客様との関係を修復するのは、大変難しくなる。経験上、開演時間は押しても3分間が上限だ。以下の通り科学的根拠もある。※ウルトラマンが、地球上でウルトラマン本来の姿で戦えるのが3分間。更に、カップ麺の、お湯を注ぎ入れてから出来上がるまでの時間も3分間である。それらの事実に基づき、私は『我慢の限界3分間説』を提唱するに至った(近年この説が、信頼おける物であることが、舞台裏業界でも認知されつつある)すべての舞台監督が「我慢の限界説』に従ってくれたなら問題はないのだが「5分押しまーす」「もう5分押しまーす」と5分刻みで押してくる舞台監督の腕にまかれているのは、やっぱりアナログ時計。

 

こきりこのお竹は七寸五分じゃ〽朝7時の時報を待ちかねていたように、稽古場から「こきりこ節」の演奏が聞こえてくる。笛の時もあるし、胡弓や三味線に音が変わることもある。稽古場に住み込んでいる二人の弟子が、9時の作業開始までの時間を使って稽古している音だ。「こきりこ節」は、合掌造りで有名な、富山県の五箇山に伝わる民謡で、一度途絶えてしまいそうになったのだそうだが、一人のご婦人が覚えていたおかげで、故郷から姿を消さずに済んだ。今では、五箇山の出身者でなくとも、誰もが口ずさめる歌となった。稽古場から聞こえてくる「こきりこ節」の、調子のゆらゆら合わない所は右から左へと聞き流し、人の記憶に残る舞台を作らなければ、と気持ちが熱くなる。「暑い」といいながらも、夕方に聞く蜩の声は、風を幾分涼やかにしてくれるし、高い空にはトンボもすいすい行き交っている。田んぼには、不慣れなスーツを着込んだ若者のように、お行儀よくピンと背筋を伸ばし、ズラリと稲穂が出そろった。庭に咲く「向日葵」にいたっては、お日様を見上げているからこその命名であったはずなのに、びっしりと詰まった種の重みで、地面に向かって首を垂れ「ジマワリ」になっている。気付けば、そこここで秋が始まっている。お彼岸に、自主公演が予定されていて、そろそろ台本を仕上げなければならない。私は、締め切りが迫ってくると、締め切りとは無関係のことに没頭するおかしな癖がある。棚や机を作ることもあるし、山に行くときの刃物の鞘を、用途に合わせて、木や革で作ってみたりする。自分でもなぜだかわからないが、今すべきことから離れてしまう。思えば、中学生の頃から、テストの前日には、必ず部屋の模様替えを始めてしまっていた。今回は、山の間伐を始めてしまった。木の間隔を目で測りながら伐採し、下草を切払っていくと、藪がスッキリと見通しの良い林に変わってくる。風通しも良くなり「洗濯物が良く乾きます」と弟子にも評判が良い。台本のアイデアも、このくらいスッキリと整理されて、舞台や生活にも見通しが立てばよいのに。八時を過ぎると、日差しが厳しくなるので、7時半から山に入って作業をしている汗にまみれた師匠である私の耳に、風通しの良くなった稽古場で、優雅に稽古に勤しむ弟子たちの「こきりこ節」が「きこり節〽きこり節〽」と聞こえてくる。調子は小まめに合わせなさい。

 

火曜日の朝、金曜日の朝、大きな黄色のビニール袋を持って、わたしは集積所へ向かう。燃えるゴミの収集日は、一年ほど前から週二回に増え、ついでに、紙袋から半透明のビニール袋に変わった。ビニール袋が黄色になったのは、詳しいことはわからないが、どうもカラス対策らしい。世の中には、色々なことを研究している人がいる。黒いカラスに黄色が効くとわかるまでには、かなりクロウした事だと思う。ゴミ出しのルールは、前の晩に出さないとか、袋には名前を書いて出す等があり、電話番号でも良いのだが、なぜか我が家では、家人によって私の名前が大きく書き出される。私は、わらび座という劇団で育った。当時は、子どもたちが大勢で暮らしていたので、自分の服には「アキラ」と糸で名前が縫い付けてあって、洗濯をまとめてしても、仕分けがしやすいようになっていた。お下がりするときには、糸をほどいて、次の子の名前を縫い付けるという具合になっていた。名前が一番明確な所有権の表明であった。「あの服を次に着るのは自分だ」と、いくら切望しても、現在の所有者が成長し、その服が窮屈になった時点で、自分の成長がその服にぴったり合致していなくてはならず、もしもその服のサイズに、自分よりハマっている者がいたら、ガラスの靴が履けたから王子さまと結婚できたあの子のように、着られるという理由で、その服を手中に収められる幸せ者と、体の寸法が合わなかったがために、袖も願いも通せない不幸せ者とに分かれた。とにかく服にしろ持ち物にしろ、自分以外の名前が書いてあったら、それは、その人のものなのであった。舞台で使う道具は、バチや扇子など、皆が同じ寸法や品物を使う事がある。道具を人に使われるのは、気持ちの良いものではない。他人の履いた靴下や、人が使った箸を、洗わずに使わなければならない心持ちに似ている。だから誰かに間違えて使われないように名前を書く。「これは私の物」「これがあってこその私の舞台」共演者は、その人に対するのと同等の敬意をそのバチや扇子に対して払う。そこに表記されている名前によって、捧げ持たれたり、足でどかされる。私の生きる世界では名こそ全てなのだ。しかるに私の名前をゴミと一緒に捨てるとは、あまりにもむごいゴミ出しルールの名を借りた仕打ちに、せめてゴミ出しを請け負うことで、家人には捨てられていないような気になる。