こんにちは、アリーシャです。


昨日の理科系女子がいまだに少ないという記事を書いてから、コメントやメッセージを頂き私も色々と考えてしまいました。


理系は地頭の良さがないとダメと考える方々が居ることも認識しました。確かに、理系のトップ男子には中学受験から高3の今に至るまで娘はあちらこちらで打ちのめされており、理系のトップ層に居る子たちはその分野の才能に恵まれている場合がほとんどだと思います。


私の知人でお父様が有名な物理学の教授の方は兄弟2人とても優秀で現役で名門国立大学の医学部に受かりました。彼女曰く、勉強は得意で大学受験も国試もそれほど負担ではなかったとのこと。お兄様は全国模試でトップ常連だったそうです。


また、私は昔東大や東工大に在籍していた知人もいて、彼らの数学能力の高さ、勉強の得意さなどを近くでみて異次元だなと感じたことがありました。


息を吸うように理解し、計算し、考え、構築していく力には圧倒されました。


そんな彼らと競いあっても仕方ないと思い、自分は別の方法で頑張ろうと思いました。


地頭の良さというのはやはりあると思いますが、社会で活躍できる能力は偏差値で計れるものばかりではありません。


要は地頭の差があるのはわかってる!その上で自分のような凡才が現代の社会で生き抜くにはどうしたら良いか?ということが問題なのです。


例えば、今データサイエンスとかの分野がもてはやされていますが、娘は数学が好きですが統計学には興味ないし、プログラミングにも興味ありません。


これをやれば高給が得られるとか引く手あまたという業種はいつの時代もあります。


しかし、時代の需要に応えられる人はごく一部だと思います。本当に自分の資質と合わないことをすると人間は壊れます。


私は大学4年生の時に父の出張についてボストンに行き、ハーバード、MIT、ボストン大学を見学しました。

アルバイト先ではWindows95が導入されたばかりで長時間の研修を受けました。時代は超氷河期で私はその秋、まだ就職先も決まらず焦っていました。


その旅から帰国して私は、とにかくこれからは英語とコンピューターだ!と思いその2つを勉強することにしました。プログラミングの分野が有望なのはわかっていましたが、私にはその方面の適正は無かったので、理系の人と顧客の橋渡しになるような仕事をその後しました。


卒業間際にようやく一応正社員の仕事が見つかり、その会社でブラインドタッチとパソコンの操作を学びました。TOEICも受験し始めました。

業務で使うExcelやWordなどは自分で本を買って勉強しました。


就職した時代が本当に厳しかったし、就職先も中小企業だったので頑張らなければ居場所がなくなるという恐怖が常にありました。


でも、その時これからは英語とコンピューターだ!とこの2つを学ぼうと思ったことは正しかったと思います。どっちも今も一般人レベルで、専門職ができるほどではないのがいろいろな意味での私の限界を表していますが悲しい


私のパート先で、コロナ禍でほぼ全ての業務がオンライン化されたとき、それについていける人とついていけない人に分かれました。

私は眼精疲労と肩こりには悩みましたが、パソコンでの作業は苦でなく全然出勤しなくなった側の人間でした。


パソコンで自宅で1人で仕事ができるということを喜ぶ人ばかりではありません。それを良しと思うかも人それぞれなんですよね。


長くなりましたが、人は他人にはなれないし、自分で生きていくしかないということです。


凡人が社会で働いて生活していくためには、社会の需要と自分の能力を照らし合わせ僅かに重なる部分で経験や勉強を積むしかないのかなと思っています。


自分が出来ることで仕事になるのは何なのか?を考え、経験や能力が足りなければ努力できる範囲で補うよう努力することくらいなのだと思うのです。


偉そうに言っていますが、私も「五十にして天命をしる」どころか、まだまだ惑いっぱなしです。でも、昨年昔からやってみたかった仕事にチャレンジして、今もあがいているところです。


【生きづらい社会を生き抜くために最近読んだ本】


 

上の本を読んで暗い気持ちになって、すがるようにして読んだのがこちら。変わらずシビアな現実を突きつけられますが、データに基づいた雇用形態の変化など、新時代の働き方を提示してくれているのは参考になりました。