こんにちは、アリーシャです。

緊急事態宣言、東京も解除されましたね。
と言っても、夫も当分は週1ぐらいの出社、娘も6月前半は分散登校で週に数回の登校になるそうです。
慣らし期間ということですね。

満員電車で通勤していた夫は、痛勤から解放されてテレワークを続けたい~と言っています。

3キロ太って3センチ背が伸びた娘に関して、私の心配は制服のスカートのウエストがきつくなってるのでは?ということ。
早速昨夜スカートをはかせてみました。
ウエストはアジャスター付きのフックなので、少し緩めればまだまだ大丈夫のようでした。
娘いわく、お腹と太ももは太くなったけどウエストは意外と細いのよイラッ!とのこと。まぁ、そういことにしておきましょう。
とりあえず、制服のお直しははしないで済みそうで良かったですニヤリ

もうひとつ心配だったのは通学用の革靴。これも履いてみたら、ちょいキツイけど、いけそう!とのこと。
どうせ梅雨でヨレヨレになるし、まだ買わないで様子を見ようと思います。

コーヒーコーヒーコーヒー

まあ、近況報告はこれくらいにして本題に入りたいと思います。

今回のことで学校のありがたみを親子ともに感じたこの春。

単に知識的な勉強だったら家でできると思うのです。でも、自宅で勉強することには大きなデメリットがあります。
それは、多様な価値観に触れないこと、で独りよがりな思考になってしまいがちなことです。

中学受験の勉強を教えていて思ったのは、親の価値観ややり方を押しつけてしまいがちだということです。これがホームスクーリングの一番の問題点でしょう。

学校生活の中では、勉強面だけでなく、大勢の人が話すのを聞いたり、行動するのを見ることで、子どもは様々なが、考え方や価値観があることを自然と学ぶと思います。

教育の目的の1つは社会で生きていける人間に育てること、だと思います。
そのためには、家庭という狭い水槽から社会という大海に泳ぎ出す前に、まずは池、そのあとは少しずつ広くなる川などで稚魚たちは生き抜く術を学ばなければいけません。

学校はその川にあたる場所だと思うのです。

多くの人や様々な価値観に出会い、揉まれる環境。それは親だけではなかなか与えられないものです。

今回の休校で他人とのコミュニケーションの場としての学校は大きな役割を果たしているのだなぁ、と改めて実感しました。

人間は社会的な生き物なので、人とのコミュニケーションの中で幸福を感じます。社会の中に自分の居場所があるという実感を持てるどうかで、心の健康左右されます。

これから少しずつ、子どもや若者たちが他人とのコミュニケーションの場を再び得て、刺激いっぱいの生活を取り戻せることを祈っています。