人が住んでいる四角い建物やら何かを作っている低く広い工場やらブロックを重ねた塀やら、幾何学的な現実を背景に何を考えていいか考えながら足を回していると、サンダル音が知らない民族が放つ音楽のように聞こえてきて、心なしか陽気な気持ちにさせてくれる。


 ペチ、ペチ、ペチ。

 住宅街のなか、和風ハイビスカスが縦に連なった僕より背の高い塔のような花が不規則に植えられた庭にはそのハイビスカスの塔を囲うようにして色素不足の紫陽花が咲いている。

 なんだ、わざわざ寺まで行かなくても良かったのだと喜んでみる。


 それは頭上を埋め尽くす爽やかとは対極の雲によく似た青みがかったグレーの紫陽花で、美しいとまではさすがに言えないけれどペチペチという僕の足音はそれすら喜劇に変えてくれた。


 そもそも僕の生きる原動力というのは「なにかあるんじゃないか」ということの他にはなにもないのでその期待に応えようとしてくれていないものがとてもありがたく貴重に思えるのだ。



 商店街というのだろうか、多少の小売店と多数の閉められたシャッターが並ぶ道に出ると僕の貧弱なサンダル音は車の走る音にいとも簡単にかき消され、考えようとしていたこともそれと一緒に蒸発してしまった。

 霧が消えた脳内に別の「ゴミ」が流れ込んでくる。


 目的のバス停は灰色で平坦な太い道と車の走っている白い棒に挟まれていて、その先の埃の塊が積もったみたいな空も含め気分の良くない場所で我慢ならなくなってしまった。