『同じちくわのムジナ』
僕、ヨシヤはとあるちくわに関する小説の作者を探していた。それは荒川土手の小さな古本市で見つけた本だった。
それを読み、身の回りのあらゆる物ごとが始まったかと思うとぶつ切りに終わってしまい、「なにかあるようでなにもない空洞」のようだと感じていた僕は、ちくわというものは非常に興味深い「存在」なのだということに気がついてしまったのだった。
今朝、僕は夜勤明けでダラダラとスマートフォンをいじりながら朝九時頃眠りについた。
それから十五時過ぎにムクリと起き上がり、洗面台の前に立った。
歯磨き粉やら水滴やらの飛び散った鏡に映った僕は、前日食べた、やたらニンジンの多い自家製のカレー、といっても何故か毎回上手くいかずにシャバシャバなわりにソースかと思うくらいしょっぱくなるのだが、その高血圧推進ニンジンカレーのせいか顔が青白く浮腫み上がっていた。
ニンジンの赤が何らかの栄養の色でないはずはないので、それは浮腫みにはなんの効力もない栄養素なのかもしれない。
ちなみに僕は三十一歳のわりには血圧が高い。家系のせいだ。なので水を多めに飲むように意識しているし好物の柿ピーも久しく食べていないのに血圧は下がらない。
次の出勤は翌日の朝なので、健康のためにも少し離れた寺まで歩いて紫陽花鑑賞でもするか、それとも、最近出来た近くの八百屋で今度こそニンジン以外の野菜を買うか。
ニンジン。この十日間ほどで呪いのような不思議な力によって使い切らないうちに立て続けに三回も購入してしまったのだ。三本でなく三回、計八本である。あの濃いオレンジ色は何かしら人を騙すまやかしのような働きをする。
そのまやかしの力によって、これこそが好物だという人の話も聞いたことがない作物であるくせ、食卓になくてはならない存在として今日もしぶとく市場に居座り続けているのだ。
適当な部屋着のままひげも剃らずにサンダルをつっかけて、とにかく家を出る。ペタペタと足の裏にひっついては離れる感触に付き纏われていることに気がつき、これは散歩どころではないということで紫陽花のある寺とは逆の方向に足を向ける。
重度か軽度かわからないがおそらくパニック障害の症状がある僕は例外時を除いて電車には乗れないので、足裏の皮膚をペタリペタリと鳴らしながら自宅アパートから数分のところにあるバス停へと向かう。