まだまだ若いと自分では思っていても、日は一日一日と過ぎ、気がつけば・・・という感慨を抱くことが多くなってきました。
有名人に限らず、友人や知人の訃報を聞くたびに、その方々の年齢を聞くと自分と大して変わらないか、下手をすると自分よりも若くして亡くなっている方もいたりして、自分もいつどうなってもおかしくないな、と思うわけです。
そういう時代なんでしょうね、今は。 その時代に沿って時々、というかかなりの頻度で「終活」という言葉を聞くようになりました。まあ自分が意識しているせいで目に付くようになった、ということもあるんでしょうけれど。
この終活、内容は千差万別ですが、エンディングノートなどにまとめる項目としてはだいたいが決まっています。
ある調査によると、この終活の内容としての三大項目は
1.財産整理
2.老後の資金計画
3.保険の整理
なんだそうです。 ちなみにその他は、

となっています。(2017年 @Niftyニュースより)
これを見てどう思われるでしょうか? 私自身、これを見て、「なんだかなぁ~」という感じです。 と言うか、もっと大切なことがあるんじゃないの?と。
確かに 終活=身辺整理 という面はあるのでしょうし、その意味では分からないでもない。
でも、自分の「人生の終わり方」という広い意味で考えたときに、私が思うのは、ではこれから「終わり」までの時間をどう生きるか、ということが一番に来て、単なる「身辺整理」というのは枝葉末節に過ぎないのではないか、という事。
つまり「終活」=「人生の振り返りと、この先の終わりまでにどう生きて、自分の人生を締めくくりたいか」ということを考えて、それに沿って残りの時間を生きる、ということではないか、と。
「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」というのは有名な「葉隠れ」の一節ですが、この葉隠れを読んだこともないので正確には知りませんが、恐らく武士としての最後の「死」を考えてこそ、普段の生きる生き方が定まってくる、ということではないか、と想像しています。
もしそうであれば、これは武士に限らず、どんな人にも当てはまることで、単に死んだら灰にになり何も残らない、と考えて今を生きるのと、死そのものにも意味を見出す生き方とでは自ずと人生に対する処し方も変わってくるでしょう。
もっと言えば、いったい人生には意味があるのか?と考えて、有るとすればそれは何か、そしてその「意味」を全うする生き方とはどういう生き方か、これを考えることが終活の最も大切な部分ではないか、と思うわけです。
ただ、これは「自分自身にとって」の終活の最も大切なこと。おそらく「終活」のもう一つの目的は、
「自分がいつ何時死んでも、残される人や周囲に迷惑をかけないようにすること」
というのもあるんでしょう。 その意味では、一番先に挙げたいろいろな活動も大切なんでしょう。
終活は 縁起と実益 天秤で
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