このブログに会いにきてくださり、ありがとうございます。
"目ざめて生きる~"などと言われますが、みなさんは、目ざめるってすごいことだと思っていますか?
目ざめについては、いろんな捉え方がありますが、今回は、ここでの目ざめることに焦点を当ててお伝えしていきたいと思います。
わたしたちは、子どもの頃は親を頼らないと生きていけませんよね。
親を頼って生きていると、たとえどんなに変わった親、酷い親であっても、その親が自分の中では当たり前になりますよね。
そして、わたしたちは、大人になると、親や家族と過ごしたなかでの当たり前を引っ提げて、社会と関わっていきます。
また、自分の子どもとも、その当たり前を持った状態で関わっていきます。
これは、家族で同じデータ(創始以来の過去の誰かの体験)を共有している状態です。
ですから、傍から見ると、やばい状態であったとしても、家族の中では普通ということがあったりします。
管理人せんとの母親には発達障害の疑いがありますが…
わたしは、子どもの時に母の言動に違和感を感じたこともありましたが、その母が当たり前になっていました。
大学に入ってからは1人暮らしをし出して、母とはあまり関わりがなくなっていきましたが…
講師の頃にたまたま発達障害の子たちと関わった経験があったので、「母は発達障害じゃないか」という疑いを持ちました。
その数ヶ月後に、母と警察沙汰になるようなトラブルが起こりましたが、その時に、はっきりと"発達障害"だと気がつきました。
それから、母を施設に入れられないかと奔走していましたが、動けば動くほど家族からは浮いていきました。
「自分がおかしいのかな?」と思ったこともありましたが、それでも浄化をして、自分ができることをやっていきました。
そしたら、いつの間にか家族の中では、わたしが悪者になっていました。
前は仲が良かった弟とも疎遠になって…両親の面倒をどうしていくかの話し合いをしようと提案した時にも、
「自分はお母さんはそんなもんだと思って関わっています。トラブルがあっても家族なら仲良くするのが当然です」というメールが届きました。
わたしはその時にはショックも受けましたが、もう弟とは見ている世界が違うのだなということがはっきりわかりました。
このように、浄化を続けていると、「あれ?」という違和感をきっかけに、家族が共有しているデータを抜けることができます。
つまり、家族のデータから目ざめていくことができます。
そうすると、せんとのように、家族からは、悪者として扱われたり、家族から孤立したりすることがありますが…
目ざめた状態でいると、俯瞰して物事を見ることができますので、ショックは最小限で済みますし、引きずったりすることはありません。
主宰者ひろによると、家族のデータから目ざめると、社会の動きも冷静な目で見られるようになっていくそうです。
目ざめていない状態だと、データの中から社会の動きを見ることになり…
どうしてもそのままを見ることができず、自分の都合の良いように聞いたり、「はい、はい」と流したりしてしまうのですが、
家族のデータから目ざめていると、データからではなくそのままを見られるようになっていくのです。
そうすると、「あれ?」という違和感を流さずにいられるようになります。
家族とは離れていて自立しているからデータは共有していないという方がいるかもしれませんね。
ひろによると、「離れて自立している=家族とのデータの共有をしていない」とはならないそうです。
また、自分は親がやっていることがおかしいことに気付いています!という方がいるかもしれませんが…
親がやっていたことを、知らず知らずのうちに自分が子どもにやっていることもあるそうです。
そういう場合は、親のことに気付いていても、自分が親と同じことをしていることに気がついていないので、目ざめた状態とは言えないそうです。
親に合わせていた自分自身、親と同じようにやらかしていた自分自身に気付いて初めて、目ざめることができるということです。
自分がうまく行かないことなどを、いつまでも親のせいにしたり、誰かのせいにしたり、社会のせいにしたりしている方は、家族のデータの中にいるかもしれません。
どんなものが出てきたとしても、それは自分の中のデータですから、大丈夫です。
浄化を続けていたら、何かしら、家族のデータを抜けるきっかけになるようなことが起こってくるでしょう。
せんとの場合、実家に帰ってきて、浄化をして過ごすうちに、住んでいる家と土地を守っていこうという気持ちが芽生えてきました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。