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3歩進んで2歩下がる

気まぐれに思ったコトを書き残すつもり。
生まれて初めてブログ書いてみようと思ったので。

ただ、それだけ。


帰り道、
スーパーマーケットに寄った。
買い物済ませてクルマに乗ったらば…


隣に若いママが軽自動車でバックしてきてね、
助手席の男の子がコッチを見てた…

3歳ぐらいかな?





10秒ぐらいして隣を見たら…、



まだ見てる!
ニコニコしてるし!!


ん!? 何?なんで?

目線を外さずに見られてる!?


クルマを降りて、
ママに引かれながら歩きはじめても、
振り返って見てる…。


最後には、
ママを叩きながらコッチを指差してるぢゃんか!



坊や、
いったい何に見えたのですか?

スゴく気になってしまったょ。
あの満面の笑みは?



いったい、
なんだったんだべなぁ???





クマのぬいぐるみでも…、
DAIHATSUのゴリラでもないょ!








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今日は来るかな?
毎日、餌場を確認してるけど…



来てる気配がない。




シースリー


基本的に野性なオッチャン猫
ここんとこ、10日ばかし姿を見せなくてね…

心配してんです。


どっかで食べてればイイのだけれど…



仏事で家を空けてたから、
帰って来なくなったのかも…?

毎日ご飯の様子見に戻ってたけど、
食べた形跡が無くてね。










リュウに声かけながら散歩してね、



「シースリーどごさ行ったべな?」

 …無言のリュウ。




今日あたり、
ヒョイと帰って来ないかなぁ。






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一通り落ち着いて、
考える時間が出来ると…不意にさみしさを感じるモンだ。

身近な存在の死を受け入れた結果なんだろね。

自分が物心ついてから、
いろんな影響を受けた人がこの世から居なくなってしまうのだから…ね。


そして、
送り出す側で最期を見届ける時にこそ、故人が歩んできた足跡を垣間見たりする。



今回は




父ちゃん。義父だった。



あたりまえだが、
自分が死んでしまった後の様子なんて想像を越えられない
誰が自分の死をどの様に受け止めるのか…、



死んでみないと現実はわからない。



うちのジジイの時も、
オフクロさんの時も、

今回、父ちゃんの時も、



同様に"偉大"だとおもった。
人生に一生懸命だった。

そう感じるんだよ…ね。



ふと、
自分の老い先をおもうと…さ、
本質的な寂しさを感じてしまう。

自信がないんだろうな。
ホントに一生懸命なのか…自分?

なにも出来てない…し。


大人扱いされるけどさ、
なにか満足させられたか?

とか、考えると…、
寂しくなる。


身の程とか、身の丈とか、
ちっぽけなのはわかる。
自分でもわかるさ。


周りの"大人"っていわれる人たちは
みんな偉大におもえるょ。


現実的で立派な大人からすれば、
自分は出来損ないだろうね。




こんな時におもうんだょ。


自分の最期の時までに、
胸を張れる何かをみつけたい。

それが人生なのかな?


自分が出来るコトを重ねた終着点が、
最期なのかな?


「是諸法空想…」




自分は、
自分でしかないね。



それ以上でも以下でもないからね。
積み重ねていくしかないんだろうな。








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