丸裸で出歩く訳にはいきません。
捕まりますね。
様々なものを身に付け、小道具を持ち、「自分」となります。
自然なコトですが、それぞれに飾りかたがありますから、
「個性」がでます。
本来の機能性にプラスされた部分、
デザインとかを楽しみます。
それって、人間だけですね。
クルマ、洋服、携帯電話、等々
あらゆるものを飾ります。
文化とか流行りとか、共に生きてます。
さて、中身は…?
やっぱり飾りますかね?
虚勢、見栄、慢心、…。
いっぱい飾ってる気がしますね。
歳を重ねながら、いろんな飾りを持ってしまうのかも?
「格」みたいなコトも意識にあるかもしれません。
人と人が「ぶつかり合う」、
あるいは「助け合う」、
両極端ですが、じつは紙一重だったりするとおもうんです。
「飾らぬココロ」ならば。
と、おもってみたり…。
人助け、
本来、同じ目的行動で集ってる場所での批判的な言動があるとするならば、
それは「軋み」でしかない。
痛み分けは…いらない。
自分の目的や意思を熟考するべきじゃないかな。
なぜ、自分がこの場所にいるべきか、
なぜ、ここに来たのか、
自分の欲求を求める場所でないところに立っていれば、なおさらのコト。
シンプルな心持ちでないと、続かぬコトもあるとおもうし、
おおげさなコトをおもっていません。
「目の前のひとつ」
できることをしてきた。
山下駅に集うのは、
文化や流行りとは無縁のコトです。
そういう人達が集まっています。
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