初めに

まず初めに私はシナリオを書いている。

何のシナリオか。TRPGというゲームジャンルのひとつで、クトゥルフ神話というジャンルを主に書いている。

(ここではそのジャンルに関することは省くが、アナログゲームの一種である)

 

さて、ではシナリオ論とは言ったものの何から書くか……。

語り出すと長くなる程、私には個人的な書き方やセオリーがある。

 

元はと言えばチェッカー卓という集団のTRPGリプレイ配信や動画を見たところだ。

(もっと言えば高校の頃に先輩に誘われたところからではあるが)

 

あのTRPGブームとも言うべき波に私も漏れなく乗っており、こじらせたわけだ。

 

今も昔も自分から見たクトゥルフ神話TRPGは「誰でも、生きるし死ぬ」である。

「生きていればグッドエンド」とは言っていたのだが、今はどうだろうか……。

 

ここからは私の愚痴であるので嫌な気分を被るかもしれない。

自衛をするならここでブラウザバックをすることを推奨する。

 

 

推奨・必須問題
「推奨」という言葉をしばし聞く。

これは読んで字のごとく「推して奨める」ということである。

 

ただ、ごくたまに「推奨」ではなく「必須」ということがある。

これがまあ私には合わないというか、日本語をもう少し理解した方が良いというか、シナリオを書いているのであればなぜそれを推奨という言葉にしたのか……。

 

推奨に「戦闘技能」があるシナリオで回避技能を持って行かない

推奨に「行動(探索)技能」があるシナリオで図書館を持って行かない

 

きっと「なにかおかしいことある? 椹木さんがおかしいんだよ」という声が聞こえなくもないかもだが、残念ながらそれはもう「必須」である。

 

なぜ推奨という言葉が使われるのだろうか。

ある種「わかり兼ねます」のようなニュアンスが含まれると考察されるが、推奨というのはざっくばらん過ぎるという気がする。

 

余談だが私のシナリオは【描写→PLからの提言→その箇所の探索→場合によってはダイスを振る】で構成されているため、ほとんどの場合「ダイスを振る」ことが結構希少だったりする。いやそれではTRPGとしての体を成しているかと言われると耳が痛いのだが……。

 

つまり何が言いたいのかというと、最近のシナリオはダイスを振らせすぎである。

この話は引き続く。次の項を読んでいただきたい。

 

ダイス振り過ぎ問題

最近の傾向と言えば【描写→ダイス→結果】のくり返しであると感じる。

調べる箇所が羅列され、出ない場所は調べることすらできない。そう言うとトゲがあるだろうか……。私は「ここを調べたら何が出てくるのだろうか」というワクワクと白紙の地図を埋めていくような感覚が楽しいのだが、どうだろうか。

 

「ここを調べたい」→「関係ないから意味がない」、あるいは「ここを調べたい」→「ダイスを振ってください」→「失敗」→「じゃあ出ないです」などよく聞くのではないだろうか。

さて、ここで「失敗すると出ない情報」があるとしたら、先ほどの推奨・必須問題にも関わってくるのだが、前提としては所詮はダイスである。

 

成功率80%、90%で失敗するなんてざらであることくらいよくある事だろう。

逆を言えば20%、10%でも成功する。一桁でもだ。

であるならばそもそも必須とするのがおかしいと、言う結論に至る。

失敗するときはどんな時でも失敗する。逆もまたしかりだからだ。

 

逆説的に言えば推奨でなければ齟齬が生まれる。

推奨することでその確率を和らいでいると考えられる。つまり、推奨という言葉は至極単純に当たり前に使わなければならない単語であるが「ダイス振り過ぎ問題」によってそれが問題化しているということであるのだ。

 

 

 

新規探索者問題

先ほどのふたつの問題に引き続きこの問題も出さざるを得ない。

これらはつまり「その都度、それ用の技能を持っていなくてはならない」ということでもある。であるならば新規探索者が増えるのは必然である。

 

最近は継続探索者不可でなくても、継続探索者というのは使い辛い。難い。

 

TRPGはテーブルトークRPG。ロールプレイングゲームというのである。

レベル上げる、育てるというのが本質であり、経験値の溜め方はその過程である。

TRPGも漏れなくそうだと私は思っている。

 

シナリオを通過することで経験を得られ、それを経て成長する人の物語を紡ぐのである。

 

 

最後に

TRPGは成長する人の物語を体験することだと私は思っているし、そういう風になるようにシナリオを構成している。

誰でもいけるシナリオ。誰でも死ぬかもしれないし、生きたら生きたで、それがその探索者の心に宿るようなシナリオを心掛けている。

 

「誰でも、生きるし死ぬ」

 

これに尽きる。私はこれを重く愛く。

とっさに出るRP、熱いRPを特等席で見たい。言いたいし聞かせたい。だから私は描き続ける。独りで文字を書いているわけではなく、みんなで絵を描いているのだ。

 

次回(いつになるかはわからないが)はテーマは「ハンドアウト」「オフラインセッション」などである。

ここまでのご愛読感謝する。不快な気持ちにさせてしまっていたらすまない。

 

ウマ娘から競馬を知り、競馬から馬を知り……

そんな私が今回綴るのは一つの出会いの物語。

私の推しは『ウイニングチケット』と言います。恐らく今後、嫌という程書くだろうということで、説明は後の自分にまかせた。

そんなウイニングチケット(以下チケットさん)。実馬は牡馬(ぼば、おすのうま)で、つい23年の2月に亡くなりました。

20歳を裕に超え、ダービー馬では最高齢でした。そんなチケットさんは浦河優駿ビレッジAERUというところでその最後を迎えたのですが、私はそんなチケットさんに会いたくて会いに行っていたのです!

 

長い道のりを後輩と向かい、出会えたチケットさんは黒くて大きくてかっこいい。

ゆっくりと人間が近づいてくるのをみて、恐る恐る近づいてきました。

その時はまだニンジンを上げてもいいという頃で、冬だったこともありはむはむ食べる食べる。かわいらしい一面を、見せていただきました。

冬毛のチケットさんはもふもふで一段とかわいく、たくましい馬でいつまでも見ていられます。

 

さて本題はAERUに行ったことではなくこの果ての話です。

チケットさんは亡くなりましたが、競馬はブラッドスポーツ。ある程度の強さを見込まれた馬は交配してまた強い馬を作っていくのです。そう、子供がいる!!

 

チケットさんが亡くなった時、僭越ながらも牧草バンクさんを通じて牧草を送らせていただきました。あの500㎏を越えた大量の贈り物のひとつは私のもあったのです。

んでんで、この牧草バンクさんの「おすすめ」みたいな感じで表示された中に父ウイニングチケットの文字が!

 

名前はスナークハンター

 

ネット競馬の掲示板をすぐに調べましたとも。そしたら「明石の乗馬クラブに『陽炎』という名前でいるよ」と書き込みが!

(ありがたやー!)

さっそく明石の乗馬クラブを見てみる……。し、しかし陽炎の名前は無し!

何を隠そう陽炎、もといスナークハンター……生きていればほぼチケットさんと同じ年齢のはず……(種牡馬としての活躍の年数からして)差があっても±2年とかそんなもの。ああまさか……いや、そんな。

 

動画を見漁ってもそれらしき姿は見えず(チケットさんとそっくりらしいので)。

ちょっぴり嫌な予感があったものの、ネットサーフィン。「あああった!」と思っても数年前の……うむむ、おかしい。万一のことがあったとて報告くらいあるよな?

 

そう思いながら刑事「椹木 游」は思案を巡らせる。そんな中、馬が走っていたのを予想していたらお金がどかんと入って来たので「このタイミングのこれは、神のなんちゃらがなんたらや!」と思い、牧草バンクさんにスナークハンターさん宛にひとつよろしゅうということで、ぽちりしました。

 

いつ届くかな。美味しいと良いな。そんなことすら忘れるほど忙しかった師走を走り抜け、年始早々気分が落ち込むような参事が多数発生。もちろん喜ばしい報告もありました。日の出を見て、おせちを食べて「乾杯、日本の衆! 今日は日本晴れ!」なんて呟いた午後に……。うう。現在進行形で楽しいことをしてはいけないのではという観念に苛(さいな)まれる。

 

しかし、そんな思いを払しょくしてくれる出来事があったのです。

それは一通のショートメッセージ。「スナークハンター」の文字が見え、すぐに見ました。するとそこには牧草を送ってくれてありがとうという旨の書かれた文が!!

 

「ハンターは大変美味しそうにあっという間に草をたいらげておりました(抜粋)」

 

こんなに嬉しいことがあっていいのか。正直、涙こそ流しません。しかし、この嬉しさが涙となって流れても全く違和感のない事象でした。

本当に気分が晴れたようになって……これがもう偽善でも逃避でもいい、この馬にとって良いことをした気がするだけかもしれない。気のせいかもしれない。

 

でも現実に、この文を送ってくれた方がそう言った感想を述べてくれているのです。

余りの嬉しさにちょっと熱い返信をして、よかったなーなんて思っていると「そういえばYouTubeのURLを添付されてたな」と思い、開いてみました。

 

チャンネルも登録しました。その名も「引退競走馬セラピーホース”陽炎”の養老Life」……登録者数は凄い多いというわけではありません。でも日々、チケットさんの息子、スナークハンターさんの情報を発信してくださっておりました。

まさかYoutubeやっているとは……!

陽炎はどうやら明石の乗馬クラブから引き取られ北海道の牧場でセカンドライフ……いや、サードライフを送っていたのでした。

(いろいろなお馬さんを見てくださっておられるようです! その中の一頭がスナークハンターさんでした)

 

チケットさんが繋いだご縁を、こうして偽善でも偶然でも繋げることができて、ワタクシ自己満足でも構いません。大変うれしく思いました。

チケットさんの食事シーンを彷彿とさせるハンターの食事は見ていてほっこり。

 

新年からいろいろあっても、こうして心から癒されることを知った椹木 游の捜査は、こうして幕を閉じたのでした。しかし、彼が生きている限り、そしてチケットさんの血が残り続ける限り。それが母父であっても、私はこの捜査を続けたいです……。

 

「推しは推せるときに推せ」とあるように私は亡くなる前に会うことができました。

しかし中にはそれが叶わなかった方もおられるでしょう。しかし、血は紡がれていくというのはなんと貴いことでしょう。

私はチケットさんから果てしなく続いていく蹄跡を根気強く付いて行きたい。

 

捜査だけに。

 

僭越ながらURLを張らせていただきます(許可済み!)。

 

 

はじめに

というわけで記念すべき第一回の記事は最推し「ウイニングチケット」です。

無知な私が最初に出逢って今も惚れ続けている素敵なウマ娘であり馬……。

 

当時一切ウマ娘を知らない時に誘ってくれた会社の後輩、昼食の時におもむろにレース画面を私に見せてくれました。

その時リリースされてから3カ月ほどたった5月中旬。
競馬では日本ダービーをやっているという時分な訳で、当時のレジェンドレースではウイニングチケットが走っていました。

さて、レースの雰囲気や実況、そして目をかっぴらきながら汗だくで走る女の子。

 

一目ぼれでしたね……。

 

ウマ娘「ウイニングチケット」との出会い

当時はまだアニメを見たことがなく、とりあえず興味本位でアプリを入れてみました。

その後輩のウマ娘はチケさんに負けていました。

育成シナリオはURAのみ、サポカも今ほど種類は無く、強い娘なんてなかなかできない頃でしたねぇ。今みたいにバンバンUGとか行かんのですわ。

 

「あ、出来レースじゃねえ! ガチだ!」

 

そこからアプリを入れて……何回か育成してみたのですが勝手がわからず目標が達成できず、チケットの育成を断念。

 

「うぉぉぉん!! ダービーぃぃい!」

 

謎のこだわりで初めての「うまぴょい伝説」はチケット(推し)で聴くんだ、と思いひたすら育成しました。そして見れました。泣きました。

 

健気に、汗水たらして、叫んで走るウイニングチケット。

特に日本ダービーにかける想いが強く、この時ばかりは涙もろい彼女も涙すら出ません。代わりにわての涙がでましたわ。緊張と期待、なにより自分の知っているあの激熱の、たった一度のレース……。

自分、こう見えて高校時代は吹奏楽部でして、一年に一回の大会がありました。鳴かず飛ばずでしたがそれでも三回はありましたから、一生にたった一回しかないものにあれだけ憧れ続けていたらああもなりますわ。

 

勝った時は嬉しい、負けた時は「育成止めようかな」と思うくらい悔しい。(ここでやめたらトレーナー失格!)喜びも悲しみも共有したいんだああああ!

ただ、ホントにチョーク折れただけで泣くなああああ!! やる気も下がるなああ!

 

と、喜怒哀楽が激しいチケさんですが晴れて担当にさせていただき、ホーム画面で毎日「明日はこれだよ! 楽しみだあああ!」を聴いて、明日への活力を分けてもらう……幸せや。もちろん私服もね!

いまだ日本ダービーは飛ばせない! 見てくれこのうるうる瞳。

ただ未だに5枠10番は来ない!

 

史実「ウイニングチケット」との出会い

――――――――――――――――――――――――――――

 

93年、日本ダービー。

瞬きさえ許さない、三つのプライドの激突。

熱狂の2.25.5__最後の直線を制したその馬の名は……

 

―――――――――――――――THE WINNERより―――――

 

史実はそういった推しへの想いが強くなっていった時にチケさんの固有演出の「勝利のチケット」に書いてある数字に関して「そういやこの数字ってなんだろ」から始まります。はい、あの上の方の「60105」と下の方の「60530」です。もっちろん、チケ推しならわかりますよね!

 

調べてもあまり出てこなかったのですが、どうやらそれが第60回5月30日の日本ダービーであり、その第60回では5枠10番だった、ということがわかりました。

その時にぶああっといろいろ出てきたのですが、エピソードがまあ熱い!

 

若き天才武豊が騎乗するナリタタイシン。

関東のトップジョッキー岡部幸雄が騎乗するビワハヤヒデ。

そんな岡部騎手と双璧を成す努力家柴田政人が騎乗するウイニングチケット。

 

日本ダービー20回近く騎乗しているのに未だ勝つことができず、引退の二文字がどんどん近づいてくる。後進はどんどん追ってくる。

海外のインタビューでは「日本ダービーで勝ったことがあるか」と聞かれたり、ダービージョッキーの為の「ダービージョッキーステークス」に、日本ダービー未勝利のまま騎乗を任されたりと、辛酸を舐めに舐めたそう。「勝ったら騎手を止める!」と言っては無いのにそう言われるほどの気迫。

 

最後の直線、外にはナリタタイシンが、内にはビワハヤヒデが。間を突っ切って走り抜けた先には恋焦がれていたダービージョッキーが待っていたのです!!

 

「政人! 政人!」というコールがウイニングランの時に響き渡り、勝利者インタビューでは「この勝利を誰に伝えたいですか?」という問いに対し「世界のホースマンに、60回のダービーを勝った柴田ですと伝えたい」と残したのです。これが上の画像の「日本ダービーを獲ったウイニングチケットです」という固有実況へとつながっているわけですね! いやあ熱い!

 

その後、落馬によって結果的に柴田騎手は引退し、ウイニングチケットもケガにより引退。

本当に柴田騎手に勝利を届けるために流星のごとく現れた「切符」となったのです。

(ちなみに馬名は単に「当たり馬券」を英語にしただけだそう!)

 

話は逸れますが、チケさんの育成時、ライスシャワーさんが出てくるイベントがあるのですが、そこでは「瞬発力が足りない」か「相手を意識し過ぎ」という二択がでてきます。

当時、岡部騎手が「瞬発力の差が出た」というコメントを残しているくらいです。

なんとなく下の選択肢(相手を意識し過ぎ)の方が良いような気がしてたのはそういった元ネタ(?)があったからなのかななんて思っています。
 

そして二つ名「新時代の旗手」というのも、なかなか目頭が熱くなるところでもあります。

というのも、もちろん平成三強とは違う「新」平成三強BNWとしての次世代の始まり、という意味もあるとは思うのですが、私が思うに「旗手」と「騎手」がかけられてるんじゃないかと!
 

この馬に引退間近の騎手が夢を乗せているんですよ……勝利への片道切符として、たった一人を乗せて「ゲート→勝利!」へと! 新時代の到来に、ハングリー精神とも言うべき勝ちたいという執念。

それでもって、あらゆる縁が紡いだひとつの勝利……。

私には、どうもこの勝利が今ではない、いわゆる昔の勝ち方のひとつなのではないかという気もして。

うーん……泥臭い、死に物狂いでつかんだ勝利とそれを「新時代の旗手」と括られるのは、ずっと旗手として振り続けるわけじゃなく、もう引退する。だから最後に大振りの一発を振らせてくれ! という叫びのような二つ名で、私は大好きなんですよねえ。

 

女性騎手、若い騎手の人気や福永騎手の引退、ウマ娘というコンテンツによる幾度目かの競馬ブーム。

新時代には到底想像もつかないところからの勝利や、泥臭いことも多々あることでしょう。

そんな最中にあったひとつの勝利が尊く、またこの二つ名に熱くなるのではないかと、思います。

初めてのうまぴょいを見た時のチケさん。懐かしい思い出!

 

ウイニングチケット ソロ曲「WINNING MELODY」

「おいおい、そんなところまで語るんかい」と思ったそこのあなた。これで終わりますのでご安心を!

 

人生初めてのオタ活(なんて言ったら怒られそうだけど!)。

初めてこういうもののCDを買ったドキドキがあった中で、推しの声を聴いて、曲を聴いて……。

やっぱりかっこいいんだ……! かわいいだけじゃない、健気で泥臭いんだ! と思わされました。

 

「騒がしい自分なりのPRIDE」と、始まる曲。もはやこれは柴田政人騎手の歌やん!

 

ということで騎手と断定した時の曲だと思って聴いてみましょう。

いろいろとあったでしょう、ええお察ししますとも。そりゃベテランとしてのプライドが……。

 

「真っ直ぐに追いかけなよと、心の声にそっと導かれてく」

 

そんなこと、気にしなくていいのですよ! あなたはあなたなりに夢を追いかけていいんですよ!

 

「火がついた情熱は ほら涙の理由も拭い、明日へ続いてく」

 

この部分は「涙ひかって明日になれ!」にも通ずるところ。このソロ曲は「春空BULE」が収録されています。前者は21年、後者は18年で3年後くらいに発表されたので伏線にしては忍んでいますねえにやにや。

 

この部分思うに情熱にはずっと火が点いていて……悔しくても明日に続いている現実に向かって歩き続けているような、ひた向きで、ちょっと孤独な漢の歌にも聞こえるなと思いました。

 

歌詞の二番はずっと彼女としての曲っぽいのでニヤニヤして聞けます。やはり一番はそれとして聴いてしまうな……。

 

「背中押されることが ほらこんなに嬉しいから 頑張れるんだよ」

 

圧倒的信頼感!! まぁ応援する観客とかね、ライバルとか言うのは野暮ってやつですよ。

これはトレーナーの事だと思って聴くのが吉です。

 

二番は「our dream(私たちの夢)信じてるんだ」になっているのも必見!

やっぱりトレーナーひいては騎手の事を指しているのかなと思うと「アタシとトレーナーさんは人バ一体だよッ!!!!」みたいな意味だと思うんです……だとしたら嬉しいですね!

 

「いま 届きそうだよ ひとりじゃないって不思議」

 

うあああああ、おいおいおいおい! これは、もう、トレーナーのことやん!!!

なあんて思いながらね、聴いているんです。

か、かわいい……。

最後に

ここまで心を吐露っとしてきたわけですが、そんなチケットに誕生日である3月21日(チケ「3、2、1、ごぉー! って覚えてね!」)に会いに行きまして……。
老いてもなおしっかり元気なチケさんを見て「このお馬さんがあの日本ダービーの舞台で戦ったんだ……何万もの歓声を浴び、柴田政人騎手と汗と涙を分かち合ったのか……」と思いました。
そんなチケさんは2月18日に亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。
ウマ娘に出逢わなければ競馬はもちろん、ウイニングチケットは知らなかっただろうし、あの時後輩がレジェンドレースをしていなければ興味すらなかったでしょう。
 
柴田政人騎手のみならず私を……いやチケさんが大好きなトレーナーたちを残らずみーんな乗せて勝利へと向かって走って届けてくれるようで、お守りのような存在としてあり続けてくれています。
個人的には「涙もろい」「他人を信用するまでのハードルが激低」「とりあえず全力」など重なる部分は多々ありますが、もっと他に運命的な何かを感じざるを得ないお馬さんなのです!!!!
 
と、いうことでここまでご静読いただきありがとうございます。
こんな感じでだいぶ時間が経ってから今更な話をいろいろと主観で語っていくので、よろしければ見てくださると幸いです。
(なお23年有馬の競馬誌「gallop」も購読済み! それもまた別のところで……)
 
あ、こんなトレーナーです。名刺、載せておきます。
IDで古参マウント。因子は寂しいものですが、サポカは頑張りました。当時は右も左もわからなかったのでこの完凸はごく最近なんです。
ついつい喋り過ぎてしましました。推しを語るのは楽しい。