こんばんわ菅谷です。今回も生い立ちについて書かせていただきます。

 

前回は貧弱エピソード中心だったのですが今回は内面の話です。

ラジオと出会い、菅谷が歪み違えた時期について書いていきます。



元々僕は授業中に積極的にボケたりするお調子者でした。


ただ普通のお調子者と違ったのは

小学生の時、周りの男子が「笑う犬の冒険」のコントや「世紀末リーダー伝たけし」のギャグを真似して笑いを取る中

僕はテレビで観客の悲鳴を浴びる出川さんをウケていると感じ、それのオマージュで

「授業中にクレヨンを食う。」

という笑いの取り方をしていたことです。

 



それから数年たった中学三年、夏。

後に芸人を目指すきっかけとなるくりぃむしちゅーさんのオールナイトニッポンと出会います。


なんて面白いんだ、こんな面白いものがこの世にあるのか、とラジオの世界にのめり込んでいきました。

特に14歳の価値観なんてものはすぐにラジオに影響され染まっていきます。

とある日のとある番組の放送で
クラスの隅っこにいる童貞ハガキ職人が投稿で、クラスのイケてるやつをつまらないといじっていたんですが


うちの中学にも体と声が大きくて先生の言うことをあまり聞かない男子がいました。
やんちゃな男子だったので、彼がボケると周りの生徒もある程度笑っていたと記憶しています。

そんな彼の得意ギャグは先生に怒られた時の

「アイムソーリーヒゲソーリー!小泉ソーリー森ソーリー!」

という一本でした。

これ一本で中学3年間いきました。

 
メンタルつよ。

 


しかしお笑い番組などをそんなに見る方ではないラジオと出会う前の僕は、
それを面白いとは思ってないものの
「みんなが笑うってことはこれが面白いってことなのか」
となんとなく腑に落ちないまま周りに合わせて笑っていました。



しかし前述のラジオ投稿により

「あ、あいつやっぱり面白くないんだ!」
「自分の薄々思ってたお笑いの価値観間違ってないんだ!」

とスッキリし(授業中にクレヨン食ってるやつなんで、お笑いの価値観は確実に間違ってるんですけど)

新しい価値観を示してくれたハガキ職人を崇拝するようになるのです。

みんながちょっと悪っぽい男に憧れる時期に
童貞のハガキ職人に憧れた僕は高校入学を機に一気にキャラを変えていきます。


それまでお調子者で授業中にボケたり、イケてるやつとも女子とも普通に喋れていましたが
高校入学と同時に

「女子とは喋れないキャラ」

「人気者のパシリを積極的にやるキャラ」

「授業中はボケずにずっと寝てるキャラ」

の3つをデビューしました。



いやなにこの高校デビュー。


高校デビューで童貞に寄せるな。



ただ、当時の僕は「これでやっとハガキ職人の仲間入りだ。」

と自分の仕上がりにだいぶ満足していました。

ちなみにまだラジオにネタを送ったりはしてません。


何故“精神性”だけハガキ職人になって満足したんだ。


そんな童貞をカッコいいと信じて突き進む僕に転機が訪れます。
高2のバレンタインに、突然クラス1可愛い女子からクッキーをもらい
放課後、公園に呼び出されます。


僕は思いました。

「絶対ドッキリじゃん。」

なんの前触れもなく僕が告白されるわけがないのです。

そしてこの『嘘の告白をされる』というハガキ職人にはあるあるな状況に僕は思います。


「これで俺も本物のハガキ職人だ!!」と。


ちなみに当時もまだハガキ投稿はしてません。


いや送れよ。


そんな呼び出された公園でクッキーを食べながら女の子を待つ菅谷


1、クッキーはワサビが大量に練り込まれ、すこぶる不味いものでした。

2、食べ終わっても女の子は現れず、いろんなことを考える時間がありました。

この2つの条件が、なぜか僕の妄想癖に火をつけました。

「これ、もしかしてクラス1の美女が僕みたいなもんに告白するのは恥ずかしいから、照れ隠しでワサビ入れた可能性あるな。それは可愛いな。」

「と、すると告白はドッキリじゃない可能性あるな。可愛いな。」


気づくと僕はその子に恋をしていました。


そんで普通にドッキリでした。


しかもドッキリの仕掛け人たちがマックで行ったドッキリの打ち上げに僕だけ誘われませんでした。



僕は思いました。
こんな思いするなんてハガキ職人面白くないな。ハガキ職人やめたいな。


僕はハガキ職人をやめました。



そしてキャラを変えようと思うのですが、元々築きあげたキャラとサッカー部の純然たる補欠という地位は今更簡単に覆せるものではありません。

当時、応援団長、ビデオ撮影、審判、スコアブック記入など、補欠に求められるすべてをこなしていた僕は

「補欠界のユ・サンチョル」と呼ばれていました。(ユ・サンチョルはゲームソフト、パーフェクトストライカー2で唯一全ポジションをこなせる選手)

 

余談ですがその努力の甲斐あってか大学時代に

「俺は菅谷がやってるのをずっと見てきたし、菅谷に任せたい」と監督に言われ

 

急きょ欠員が出た「埼玉県選抜対北関東選抜」の

 

 

主審をやらされたこともあります。

 

 

生き地獄でした。

 

笛吹いても吹かなくても「はぁ?」とか「ああ?」とか言われるのでビビってしまい

 

一回だけ笛吹いたけど吹いてないことにしました。

 

余計怒られました。

 

 


話は戻って高3の秋、僕に再び転機が訪れます。


うちの高校には自分たちの面白さに絶対の自信を持つ「豊島のお笑い四天王」を自称する男たちがいました。


思春期という言葉では逃げ切れないほど香ばしい肩書きですが、彼らは今も人気者です。


そんな四天王の1人。
イケてるやつにもイケてない奴にも男子にも女子にも好かれている“太陽のような男”ダイスケが僕に言いました。

「菅谷mixiやってよ!で日記書いてよ!」

当時mixiは僕の周りでは流行り始めのSNSでしたが
友達の紹介でないと始められないシステムだったので僕には縁のないものでした。


しかし学校一の人気者、太陽のようなダイスケに誘われたことが嬉しかった僕は
すぐにmixiを始め、日記を書きました。いわゆるブログみたいなもんですね。

するとそれが面白いとダイスケが方々で褒めてくれました。
そうなるとダイスケの影響力は強いですから、僕はmixiきっかけで友達が急激に増えることになります。

僕の日記を読みたくて、隣の学校の生徒からも友達申請がくるようなこともありました。


それが、後にブログURLに「笑ったもん勝ち」ブログタイトルに「菅谷のネタ帳」とつけるダサ尖りにつながってしまうわけなんですが

とにかく僕は高校生活の終わりにやっと友達が増え

「豊島のお笑い四天王の右腕」という地位を確立しました。

この世で一番ダサい肩書きです。



そんな菅谷は高3の晩秋


ついに自分史に残る事件を起こします。

そう。

初めて授業中に自発的にボケたのです。

僕にとっては快挙です。


うちのクラスには、ちょっと悪ぶりたくて
毎日授業中にこっそり弁当を食べる男子がいました。

彼のその、ちょっと悪ぶってる感はすごくすべっていました。

みんなが彼のスベりを見て見ぬふりをする中

いつもの弁当を食べる音とは違う

シャリ、シャリという咀嚼音がします。


みんながそちらをみると弁当を早弁する男子の奥で
菅谷が当たり前のようにリンゴを丸かじりしていたのです。

お笑い四天王の1人「イジりの長内」が

「いや早弁でリンゴ丸かじりするやつ見たことないわ!」

とツッコみ、クラスは爆笑に包まれました。

 

怒らないといけないはずの先生も笑ってしまっていました。

 

お日様も笑ってた気がします。


たぶんこのボケ、死ぬとき走馬灯で見ます。

 



ただ俺のボケ「なんかを食うボケ」ばっかだな。

クレヨンとかリンゴとか。


とまぁ、そんなこんなで授業中にボケるという原点に帰ってきた僕は
高3の冬、人生の拠り所であったくりぃむしちゅーのオールナイトニッポンの終了をきっかけにお笑い芸人を志すことになるのです。



僕から以上。あったかくして寝ろよー