(鍼灸師としての祖母の生き方)

 

戦前、戦中、戦後しばらくの間は、すべての人が簡単に医療を受けられる環境にはなかったようです。

 

世情の混乱の中、すべての方の生活環境は平等ではなく、貧困に苦しむ方も多くおられ、医療を普通に受けられない方が多くおられました。

 

戦前戦後と祖母の鍼灸師としての生き方は、誰にでも分け隔てない治療家でした。

 

鍼灸の腕は、かなりのもので、完治した患者さんの批評が評判を呼び、いつも診療所は患者さんでいっぱいでした。

 

今では差別問題であまり話題にあがりませんが、部落や朝鮮人集落など、当時は一般の人は避けるような地域がありました。

 

若い女の身でありながら、そこの地域で、病人(子供がひきつけた、高熱が出たなど)が出て助けを求められれば、夜中でも、夫の反対を押し切り、出かけていきました。

 

そして、お金に困っている人には、無償で治療を施していたそうです。

 

晩年の祖母は、「鍼灸師としての腕も当然大事だが、私は心と気で治す」と言っていました。

 

また「鍼灸のツボや針を刺す技術も大事だが、治療家の精神が充実し、無欲に純粋に相手の為を思う気持ちで治療するならば、極端な話、体のどこに鍼を刺しても治る」とまで言っていました。

 

祖母は、治療を受けに来らた方に、必ず笑顔で優しく「大丈夫、必ず良くなりますから」と言い切っていました。

 

祖母は患者さんの心の中にまで入り込んで、鍼灸による体の悩みだけでなく、心の病(悩み)まで、相談にのっていました。私も治療家ですから、よくわかるのですが、人の悩み(人間の業)を聞くことはかなりのエネルギーを消耗します。

 

祖母の場合、鍼灸の患者さん以外にも、悩みを抱える多くの女性の相談にものっていました、その相談は膝詰めで深夜にも及ぶこともありました。祖母の精神力は尋常ではなかったように思います。

 

以前、マザーテレサの記録映像を見たことがあるのですが、呼吸が乱れとても苦しそうにしている瀕死の子供の頭をなでて、マザーテレサの手が子供の体に触れた時、子供の乱れた呼吸がスーと穏やかに、楽になった映像が流れました。

 

治療家としての医療技術も大事ですが、相手に寄り添う思い、人の為の無償の祈りのような気持ち、それが相手に伝わり、泣く子供が、母に抱かれて泣き止むように癒される。そこには医療を超えた目に見えない癒しの波動というものが存在するのではないでしょうか。純粋に相手を思う気持ちは、医療には欠かせないものであると思います。

 

マザーテレサのような祖母の心と気の治療を見てきた私ですが、いい年になっても、凡夫の私にはまだまだ祖母の真似はできそうにありません。