【相手を拝む】

 

自己中心で理不尽な言動であなたを傷つける仕事仲間、同級生、ご近所さんなどに腹が立つことは、誰でもあると思います。

そのような相手は、可能なら避けて通るのが正解です。

ただ、夫婦となると避けて通るのが難しいと思います。

夫婦で言い争いなった時、相手の悪い性格を指摘して正そうと努力すると思いますが、ほとんど無駄に終わることが多いのではないでしょうか。

結婚当初はラブラブでも、何年も一緒にと暮らしていると、相手の粗が見えてきて、「こんな人とは思わなかった」と腹を立てたり、イライラすることが増えてきたりします。

私が幼い時に、祖母はそのような夫婦の悩みのあるお弟子さんに神様のお話を説いていました。

祖母は当然女ですので、祖母の話を聞きに来るお弟子さんたちも、どちらかといえば最初のころは女性のほうが多かったのです。

祖母に相談される内容の多くは、ご主人の浮気、酒癖の悪さ、博打、暴力の悩みでした。

「どうしようもない夫と離婚したいが、子供がいるので踏み切れない。どうしたらよいでしょうか」思い悩んで相談に来られます。

当時は、今のように簡単に離婚という風潮ではありませんでした。離婚のハードルは高く、専業主婦が多く、離婚してもすぐに働き口はなく、たとえ働き口があっても、当時は子だくさんの家庭も多く、子育てをしながら働くのはなかなか難しい時代でした。

「堪能(たんのう・かんのう)」するという言葉があります。

「堪能する」は、満足するという意味もありますが、「耐え忍ぶ力、能力」という意味で使うこともあります。

祖母は「堪能」をお弟子さんに説いていましたが、祖母説く「堪能」は「不幸な境遇を我慢する」という意味とは違っていたようです。

祖母の言う堪能とは、「我慢することや耐えるのではなく、自分の不徳を自覚し、今ある現状を素直にそのまま受け入れ、そして自分に与えられた試練として徳積みをしていくこと」と言っていました。

夫婦というものは、必ずお互い同じ徳分(とくぶん・徳の量)の人が惹かれあって、結婚にまでいくそうで、縁がなければ結婚までには至らないそうです。

従って、結婚相手は「自分の持っている徳分を見る鏡」とも言えます。

徳分というのは、親や先祖から受け継ぐものもありますが、生まれて以降の生き方で増やすことも減すこともできるそうです。

そして、祖母が言うには、たとえ離婚して別の人と結婚しても、多くは最初の結婚相手よりも徳分の低い人を自然と選んでしまうらしいのです。

再婚相手が運よく、浮気、酒癖の悪さ、博打、暴力の悩みのない人を選んでも、それ以外の試練、例えば、自分や再婚相手の病気やケガ、女性なら再婚相手の仕事がうまくいかなくなる、子供の病気、非行、引きこもり、いじめ、事故、など、別の試練が与えられるらしいのです。

そうなる理由は、神様から与えられた、夫婦間の試練から自分の不徳を自覚せず、逃避したことによるそうです。

祖母は、悩むお弟子さんに、「神様は決して自分の徳分以上の人や以下の人とは結婚させるようなことはしません。そのようなダメなご主人と結婚することになった自分の不徳を自覚しなくてはいけません。離婚で逃げても何の解決にもなりません」

「相手は、自分の不徳を映し出してくれる神様から与えられた鏡と思い、陰でご主人を、両手を合わせ拝みなさい。

 

そのような試練を与えて自分を鍛えてくれるご主人と神様に感謝して拝みなさい、そしてご主人に優しく接し、つくしなさい」と膝詰めで説いていました。

自分の不徳を自覚された、お弟子さんは、号泣しながら「私の不徳が自覚できました。自分や子供を不幸にするところでした。これから先生の言われるようにやってみます」と晴れ晴れした顔で言っておられました。

相談に来られた奥さんが帰られた家では、今までと打って変った奥さんを見て、ご主人が驚きます。

「トゲトゲしかった女房が優しくなった。文句を言わないどころか自分に良くしてくれるようになった。

 

自分が女房にひどい仕打ちや苦労を掛けていたのはわかってはいたが、鬼のように文句を言う女房に対し、ひどく反発していた。家に帰るのも苦痛だった」

「なぜこのような女房に変わったのか。不思議だ。最近神様の話を聞きに行っていると聞いた。

 

女房を変えた人はどのような人なのか」と興味を持たれ、奥さんと一緒にご主人も祖母のところに来られるようになりました。

祖母は、ご主人が来られたら、優しく接し、女の通る道だけでなく、男の通る道をわかりやすく説いていました。

それに感化されたご主人も祖母の話を聞きに通うようになりました。

ご主人も、祖母の話を聞きに来るにしたがって少しずつ変わっていき、家庭内が落ち着きを取り戻し、ご主人だけでなく、子供さんも連れて家族で祖母の家に来られるようになりました。

そのような多くのお弟子さんの家族が祖母の周りに集まり、祖母の家はいつも誰彼が集まりで賑やかでした。

私も小さい時には、お弟子さんの子供たちとよく遊び、楽しかった思い出が沢山あります。

現在は、女性も社会進出が進み、経済力があり、子供は少子化で少なく、夫婦の間が合わなくなれば、すぐ離婚という選択をされる方が増えています。

離婚して、何事もなく幸せに暮らせている、ということであれば何も言うことはありません。

祖母の話は今の世情には合致しないと感じる方もおられるかもしれません。

しかし、悩んでおられたお弟子さんの心が変わり、家庭が円満になり、幸せになられたお姿を見てきた私としては、祖母の話が古臭い話で今は違うとはどうしても思えません。

私と家内は、いつもお互いが感謝を言葉や行動で伝えるようにしています。

 

そのせいか私たち夫婦は37年間喧嘩をしたことは1度もなく夫婦円満です。

※申し訳ありませんが、この神様のお話は、すでに亡くなった祖母一個人の考えなので、このブログに関しての、ご批判や苦情はご容赦くださいませ。また、この内容についてのお問い合わせも、当人がすでにいないので、お答えできませんのでご理解ください。