【お祈りの仕方】

あなたは、神社仏閣でお祈りをするときに、何を祈っていますか。

多くは病気の回復、家族の健康、宝くじの当選、受験の合格、就職、恋愛や結婚成就など神様にお願いしていると思います。

私は、祖母の教えもあって、神社仏閣でお祈りをするときに、神様に自分のお願いをすることはありません。

祖母からは、神様にこれまで生かされたことへの感謝、そして日々の心遣いが間違っていなかったか、自分の行動が、周りの人の少しでも助けになったか思い返し、反省することであると聞きました。

神様を信仰していない人の多くや、信仰している人でさえ、多くの方が一生懸命、神頼みをしておられます。あまりに多くの人がいろんな神頼みをするので、神様も困っておられるのではないでしょうか(笑)。

願いの多くは、ご自分のことやごく近い家族の事の願い事であると思いますが、残念なことに、神様がお考えになる幸福と、人間の願望である幸福は、ほとんど一致しないのです。

したがって、あなたがいくら思い願っても、都合よく神様があなたの願い事通りにしてくださることはあまり多くないと思います。

例えば、宝くじの当選を願う人は買った人すべてに対し、当選人数は決まっています。願った全員に当たることはありません。願いの強さで決まるわけでもありません。

また、当選して、幸福になる方もおられるかもしれませんが、当選して大金を手にしたことで人間関係がおかしくなり、不幸になったという方もおられると聞きます。

神様は人が願ったことではなく、その人のこれまでの心の持ち方と生き方に対して判断し、進むべき道を与えてくれているのです。

家内の実家の話なのですが、兵庫県の長田というところに住んでいました。

義父は、先代の会社の社長に仕事ぶりを認められ、「ずっと使ってくれていいから」と会社の事務所に使っていた一軒家に長年住まわせてもらっていました。

かわいがってくれた先代社長が亡くなり、息子が後を継いだのですが、突然「会社で使うから家を出てくれ」言ってきたのです。

義父は、今まで先代のために一生懸命会社のために身を粉にして働いてきたと自負していたので、多少腹が立ったようですが、「先代にはお世話になったのだから」と思い直し、文句を言わず出ていくことにしました。

移転先は西明石に親せきがいたので、その近くに住むことにしました。しばらくはそこから会社にも通っていたのですが、その息子との折り合い悪く、会社も辞めることにしました。

それから、1~2年して、あの阪神大震災が起こったのです。

長田の住んでいた家は倒壊し、長田の町は火事で大方消滅しました。

あのまま住み続けていたら、家内の家族の命はなかったと思います。

突然、家を追い出された時は、なんと理不尽なことかと人間事案では思いますが、流れに任せ、文句も言わず家を引っ越したために命が助かり、追い出されて本当に良かったと感謝することになりました。

何が良くて何が悪いのか、その時は悪いことや苦労したことでも、後になって「あれがあったから今の自分がある、あの時の苦労が今の自分を強くした」ということはあります。

私も、事情や身情が起きた時、人間の価値観では神も仏もあるものかと嘆くことでも、ずっと後になってみれば神様が自分に与えた課題であったということに気づくことがあります。

祖母は、「神様は、その人にとって超えられない課題は与えない」と言っていました。

私の高校時代の先生が、ある宗教を熱心にしている友人の話をされたことがあって、「ある宗教を信仰している友人が、交通事故にあった。

 

その時友人は『信仰していたのでこれくらいのケガで済んだ、神様に命を助けられた、ありがたい』と言っていた。あほらしい。

 

神さんが本当にいるのなら事故にあうはずがない。だから宗教は怖い、友人は宗教に騙されている」と言っていました。

私は、その友人が信仰していたから命が助けられ、そのくらいのケガで済んだのかどうかは、わかりません。

 

しかし、ケガをしても、災難をポジティブにとらえ前向きに考えられるということ自体は悪いことではないと思います。

自分はなんと不幸な人間だ、信仰していても神様は全然自分を助けてくれなかったと嘆くよりも、このくらいで済んでありがたいと思うほうが、よほどケガの回復も早いと思います。

ただ、信仰というものは、ご利益信仰では意味がありません。自分の欲望を満足させるための欲が絡んだ祈りは、本来神様に失礼なことなのです。

幸福も不幸も起きた現象で決まると思っている人が多いですが、幸福や不幸はあなたの心で感じる幸福感と不幸感なのです。その人の考えや価値観次第で決まります。

神を信じ、神心に沿って、感謝し、反省の祈りを捧げつつ、日々人のためにと行動する人は、どのようなことが起きても神様の考える幸福感が得られるようになるそうです。

したがって祈りは、
自分のことは感謝と反省、そして、自分以外の人のために祈るときは「〇〇さんが幸福と思えるようにしてあげてください」とお祈りするのが、本来の祈りの方法であると祖母から聞かされました。

※申し訳ありませんが、この神様のお話は、すでに亡くなった祖母一個人の考えなので、このブログに関しての、ご批判や苦情はご容赦くださいませ。また、この内容についてのお問い合わせも、当人がすでにいないので、お答えできませんのでご理解ください。