「日没」
小川は空のしたで眠りこけ
たっぷりとした乳房に影を抱きしめる
三日月はぼんやりと高く
西のほうでは
ひかりは灰をかぶったかのようにかすんでいる
いま 一羽のつぐみが葬送の席に身をなげだして
滅びてゆく一日をわたしといっしょに悲しんでくれている
そのあいだに南のほうでは
一番星が銀色の顔をもたげ
ねずみ色をした一画をひょいととびこえ月をあかるませているようだ
街のひくい呟きがわたしに届く
すると太陽が麦わらでできた冠をかぶり
彼女のマントがちからづよくふりおろされる。
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SUNSET
The river sleeps beneath the sky,
And clasps the shadows to its breast;
The crescent moon shines dim on high;
And in the lately radiant west
The gold is fading into gray.
Now stills the lark his festive lay
And mourns with me the dying day,--
While in the south the first faint star
Lifts to the night its silver face,
And twinkles to the moon afar
Across the heaven's graying space;
Low murmurs reach me from the town,
As Day puts on her sombre crown,
And shakes her mantle darkly down.
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《日没》を描いた詩なら、ぼくもかぞえあげられないくらい読んできたけれど、このダンバーの「日没」ほど、情景と、作者の心情が間然するところがない作品ははじめてのような気がする。たぶん、ぼくの錯覚ではないだろう。
冒頭から《小川は空のしたで眠りこけ/たっぷりとした乳房に影を抱きしめる》としっとりとした叙景をほどこし、西のほう、南のほうへと視線を配し、時のうつろってゆくさまを大胆に描き出している。漢詩か俳句にもつうじるような硬質な描写は、《街のひくい呟き》をうけとる《わたし》の心中の孤独もあぶりだしていている。こうした叙景と心情描写のきめこまやかさこそ、ダンバーの詩が、21世紀のいまもアメリカ全土で愛されつづけている理由のひとつではないだろうかと、ぼくはおもっている。
ちなみに上の画像は作品の1行目《The river sleeps beneath the sky》をタイトルにした楽曲の譜面。なんとYouTubeでも聴けるから、驚いてしまった。
【笑い仮面】