笑い仮面のブログ-悲しき酒場の唄

 

 

 カーソン・マッカラーズの『悲しき酒場の唄』を、うん十年ぶりに読みなおした。
 アメリカ南部を舞台に繰り広げられる、強烈な個性をもつ女と、ふたりの男どもが織りなす、笑うに笑えない愛の悲喜劇。

 せつない愛憎の絡みあう、これはヴァイオレンスだ。

 

 さびれた、《まるで世界のどこからも遠く離れた、孤立》しているような町に、ひどく傾いて《そことなく奇妙にいびつな感じ》のする建物がある。
 ミス・アメリアが、父親から引き継いだ蒸留所で作ったウイスキーや、日用品を手広く商っていた店だった。ミス・アメリアは、背が高く、男のように筋骨たくましい女性だ。斜視であったけれど美人といってよい顔だちだった。

 

 ある夜、ミス・アメリアの店に、彼女のいとこと名乗る奇妙な男が現れた。
 ライマンと名のる男は、背中が曲がっていて、背丈は四フィートそこそこで、脚は細くゆがんでいた。男は、年齢不詳で、本当にミス・アメリアの血縁に当たるのかどうかも疑わしかった。


 訴訟沙汰が好きで、賠償金をよくせしめていたミス・アメリアが、一銭にもならないだろうこの来客をどのように扱うか、娯楽に飢えていた町の住人たちはあれこれと噂をしあった。
 ミス・アメリアは男の身ぐるみをはいで、本人は沼地に埋められるだろう……。
 
 しかし、皆の予想に反して、ライマンは、ミス・アメリアの家に棲みつくようになっていた。ミス・アメリアの顔つきは、恋する者のそれだった。


 ミス・アメリアの店は、毎晩六時から十二時まで営業する《本格的な酒場》に姿を変えた。

 ミス・アメリアは、ナマズのフライの夜食を一皿45セントで出しはじめた。店は賑わい、町の唯一の娯楽の場となった。
 ライマンはミス・アメリアにせびって、上等の自動ピアノを買ってもらった。ミス・アメリアはライマンを溺愛し、彼は彼女を支配しているかのようだった。

 

 数年後、ミス・アメリアのもと夫のマーヴィン・メイシーが、刑務所から帰って来た。
 マーヴィン・メイシーは花嫁を新床に迎え入れることもできずに、それどころか彼女から告訴されて、全財産を出して買った森林も取りあげられ、失意のうちに町を去っていた。やがて三件の強盗をはたらいた罪でアトランタ市近くの刑務所に送られていたのだった。
 

 そしてマーヴィン・メイシーとライマンはウンメー的な出会いをするのだが

 

 ……それは、二人の未知の人間がはじめて出会って、すばやく相手を判断しようとするときの目つきとはちがっていた。二人が交わした視線は異様なもので、互いに相手の正体を見ぬいた二人の犯罪者の目つきに似ていた。

 

 この部分、読んでいてぞくぞくする。悪趣味かもしれないが、マッカラーズの物語には、人間の暗い本性をあぶりだしてやまない毒があるのだ。

 

 さて、ライマンはダーティーな香りのするマーヴィン・メイシーに興味があるのか、
「この野郎、どけ、頭の皮をひっぱがすぞ」
 などと言われ、乱暴な扱いを受けながらもマーブィン・メイシーを兄貴のように慕い、彼につきまとうのだった。

 ライマンは、ミス・アメリアに無断で彼を家に迎えいれ、ミス・アメリアから与えられていた大きなベッドをマーヴィン・メイシーに譲る。
 ミス・アメリアは居間のソファーで、大きな体を縮めて寝ることを余儀なくされてしまう。
「いまに見ろ!」
 ミス・アメリアは、口惜しさに咆える。

 

 しかし、マーヴィン・メイシーは、笑って言う。

 

「おれにむかってどなるってことは、みんな自分にはね返るんだぞ!ほうい!ほうい!」

 

 ライマンが慕っているマーヴィン・メイシーを攻撃し、非難することは、ミス・アメリアにとっては、即ライマンの愛を失ってしまうことを意味していた。
 マーヴィン・メイシーは、新床にも導くことのできなかったミス・アメリアを支配することができるのだった。

 ミス・アメリアは苦悩する。

 

 酒場は賑わっていたが、ミス・アメリアとマーブィン・メイシーがボクシングのように拳を固め、戦う身がまえをして、互いににらみあう場面が見られた。
二人の《決戦》は、ウッドチャックの日に行われた。住人は固唾を呑んで、スポーツの観戦のように、世紀の決戦の行方をみまもるのだった。

 

 なにも合図はなかったが、二人は同時に打ち合った。


 

 これから先は、まあ、実際に本書を読んで、ええっと驚いていただきたい。思いもよらぬ《いびつな》結末が待っているから(笑)

 

 悪意をもってデフォルメされたかのような容姿と性格をもった登場人物と、泥沼状態になるまで延々と繰り広げられる祝祭的な悲喜劇。そして、読者の期待を裏切るかのような?物語の終末……。
 

 フォークナーから、『スーラ』のトニ・モリスンまで延々と脈をうち続いているアメリカ南部出身の小説家による作品群に共通して見られるいくつかの《いびつさ》な構図は、やはり本作にも息づいている。

 訳者の西田実氏が、『解説』で、マッカラーズの文学を評して《グロテスク》とよんでいるが、なるほどなるほど。

 美しいものだけを描くのではなく、人間がいやおうなく持っている、また社会関係の中で発生するえげつない慾得や醜悪な情動をもまるごと描く。


 それはまさに、俗福な社会での文学には望めない人間の存在の本質の悲しさを歌いあげるのに欠かすことのできない《思想》でもあるのだろう。

 

 本書には『酒場』のほかにも、三篇の物語収録されている。
 『家庭の事情』は、アルコール中毒におちいってしまった妻の介抱に手を焼きながらも、彼女を愛さずにはいられない中年サラリーマンの苦悩を描いた佳作だ。
 

 マーチンの仕事の都合で、南部の田舎からワシントンに移住した妻のエミリー。彼女は、都会の生活に馴染めず、友人もいなかった。やがてアルコールに溺れるようになり、ふたりの幼い子供たちの世話もできなくなっていた。
 マーチンは懸命に子供たちの世話を見るのだが、その夫の行為が気に障り

「ほらね!あんたはあたしの子をそそのかして、あたしにそむかせた」

 と、大声を出して騒ぎ、子どもたちをも恐がらせてしまう始末だ。

 

 これは、現代にも通じる社会問題の一端をあつかった掌篇であるが、エミリーをさいなんだ孤独は、もしかしたらマッカラーズじしんのそれであったのかもしれない。

 病と孤独に苦しみながら、彼女は、人間の本質にある美しさと醜さを見つめ、大胆な筆致で、数多くの作品を産んだと思うと、やはりせつないが、結部の、

 

複雑をきわめた愛情の不思議さで、悲しみが欲情と溶け合っていった。

 

 という一行が、宝石のように美しい。

 

 うん十年ぶりに読みかえしたのだけれど、何度読んでも、胸の奥に燃えるコークスの塊りを投げ込まれたような気分になってしまう一冊だ。

 


         カーソン・マッカラーズ 西田実訳『悲しき酒場の唄』(白水Uブックス)

 

                                          【笑い仮面】