笑い仮面のブログ-連載を終えて



 ずいぶんとんちんかんな読み物になってしまった。昨年末、『高知新聞』に連載させていただいた、わたしのエッセイ『うつろ草紙』のことである。
 まあ、難しいことはさておいて、日頃気になっていたことや不思議に感じていたことをそのまま気負わず飾らずに書いていこう、と思っていた。多少の脱線はごめんなさい、とたかをくくってもいた。やはり、それがよくなかった。


 夢、うつくしい女性たち、酒場の喧騒……と、わたしの自堕落な日々をそのまま反映した豊富な話題(?)と、ネコの目みたいにくるくる変わる乱暴な論旨の展開はエッセイというより、むしろ気まぐれにしたためたメモか、日記の一部みたいでさえある。

 まさか、これほど脱線だらけの作文になってしまうとは、思ってもみなかった。気負わず飾らず、はいいけれど、さすがにわれながら恥ずかしくなって、連載の最終日には、ほっとため息をついてしまったほどである。


 はじめてのエッセイである。

 疲れたわたしの心のおもむくままに、まさにつれづれなるままに(?)ちりばめていったなことばのかけらたちである。わたしの心のかたちである。

 心、なんていうと、またまた話がややっこしくなってしまいそうだけれど、ようするに、わたしたちの生きている日常そのものである。日々、生活といっても、あるいは時間そのものだといってもいいだろう。

 音もなく流れ、すぎ去ってゆく儚く、うつろな夢幻。

 追ってもつかまえてみても、そのそばから散り、去ってゆくわたしという生命。

 けれど、けっして見逃すことのできないわたし自身の一部分。そんな頼りないものを頼りないままに書いてみたかった。
 

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためし例なし」


 と、人の心と生命、そして世界の儚さ、もろさを苦々しく説いた鴨長明にならって、というわけではないけれど、頼りないもの、散ってゆくもの、うつろなものをこそ、わたしは、ささやかなわたしのことばにちりばめてみたいと思った。

 センチメンタルだと笑われるかもしれないけれど、まあいい。書きたいものを書くしかない。
 

 窓を閉めていてもカーテンの揺れるおんぼろアパートで、わたしは黙々とパソコンのキーを叩きつづけた。疲れたらなじみの居酒屋にでかけていって、ひとしきりくだをまいたりしていた。酔客たちのけだるいざわめきが、いつもわたしの孤独を慰めてくれていた。
 わたしのことばのかたちのかげに、ともすればくじけがちな、わたしのうつろな心をそっと支えてくれた人たちのいたことを、わたしは忘れてはいけない。
 

 こんかい、わたしの『うつろ草紙』の連載を、いちばん喜んでくれていたのは、たぶんわたしの父だった。

 いなかの病院で、点滴をうけながら、原稿の出来ぐあいを何度もわたしに尋ねてくれていた。家人が、ベッドサイドで『うつろ草紙』を読んで聞かせてくれていたらしかったが、連載なかばで父の生命の火は絶えてしまった。

 最終回まで聞いてもらいたかった。 

 人の心と生命のうつろであることを、身をもってわたしに教えてくれた亡き父に、この『うつろ草紙』を捧げたい。
 

 さいごに、わたしのとんちんかんな悪文に耐えてしんぼう強く、『うつろ草紙』を読んでくださった『高知新聞』の購読者の皆さん、ほんとうにありがとうございました。

                                    (2005年1月21日『高知新聞』)



                     合格

 
 それからやはり、アメブロの心やさしいブロガーのみなさんの応援なくして、この『うつろ草紙』が、インターネットなんていう媒体の上に復活することは、まずなかったはずだ。

 ほんとうに、ありがとうございました。もいっぺん、ありがと。

                                     (2011年6月16日)                                   


                                                 【笑い仮面】