笑い仮面のブログ-荒地の恋

 

 

 ある夜、北村のもとに、友人の田村から電話がかかってきた。

田村は、いつものように酔っている。酔っていながら、驚くようなことを、いや呆れかえるようなことを北村に頼みこんで来たのだった。

 

 あるスパイ小説の新訳を頼まれているのだが、数年前に出ている北村訳の方がいいから、それをそっくりそのまま、田村訳として使わせてくれ。

「なんだったら、共訳っていうことでもいいからさ」

 なんとも図々しい話ではあるのだが、その田村の図々しい頼みごとの交渉役として、田村の妻・明子が、北村の前にあらわれる。

 そして、北村はたちまち五三歳にして、奔放な性格の明子に魅かれ、恋に落ちる。


 

 この北村というのは、北村太郎氏、ということは田村というのは田村隆一氏のことだ。

北村・田村ともに、戦後詩壇をけん引した詩誌『荒地』の主要メンバーに名をつらねる有名詩人だ。ぼくは、この『荒地』の詩人らしからぬ、ひょうひょうとした感覚の詩を書いた北村太郎氏のファンだ。

 

この小説『荒地の恋』とは、まさにこの北村と、田村、そしてその四人目の妻・明子の織りなす、まさにぐちゃちゃぐちゃの《純愛》のことにほかならない。

 そして、それを描いているのは、みずからも詩人で小説家のねじめ正一氏と、いくぶん詩壇スキャンダルの様相を呈している感もなくはない。


 

 しかし、北村の恋は、とことん真摯で誠実だ。

 朝日新聞の勤勉な校閲部長のスキャンダルは、たちまち社内で知らぬものはないものとなり、北村は、定年退職を間際に控え、退職をしてしまう。妻と娘のいる家庭を棄て、明子とアパート暮らしをするようになる。

そして、北村は、詩を書く。

 

「たったこれだけかあ」

詩友・三好豊一郎氏に言われるほど寡作だった詩人は、恋と性の魔力のもとで、エロスと死の香りのする詩作品を猛然と書き続ける。

79年、詩集「眠りの祈り」(無限賞)、83年、『犬の時代』(芸術選奨文部大臣賞)、85年、『笑いの時代』(藤村記念歴提賞)、89年、『港の人』(読売文学賞)と、それまでの寡作の期間を埋めてしまうかのような多産ぶりを発揮する。


 

 

 田村の方はといえば、妻の明子が北村のもとへ行ってしまっても、泰然自若たるもので、わかい女性を連れ込んで、詩を書くように、酒を浴びる日々。

しかし、「殺し文句の詩人は女を殺すだけで愛さないのだった。言葉で女を殺して、うまいこと利用して、面倒臭くなったら逃げ出すのだ。殺し文句の詩人が大切にしているのは言葉だけである。言葉に較べたら、自分すらどうでもいいのである」。

 実直な北村とは正反対のプレイボーイぶりの田村だが、しかし、北村の優しさと人間性をもっとも理解していたのは、あんがい田村だったのかもしれない。

「北村あ、会いたいよう!」

 泥酔した田村から、そんな電話がかかってくることもあった。

 


 

四年後、北村と明子の生活は終わりを告げる。

もともと高名な彫刻家の娘として何不自由なく育った明子には、アパート暮らしは無理だったのか、稲村ケ崎の家に執着があったのか、再び田村のもとへ帰って行ってしまう。

「田村は私を苛めるのよ。私はもうズタズタで、神経がおかしくなりかかってるんです」

と、北村に訴えていた、その田村のもとに嬉々として帰って行く明子を、北村は責めることもしない。

明子が、鉄道への飛び込み自殺を図ったときもまっさきに飛んでいったのは、夫の田村ではなく、明子との生活のために、安定した仕事と、妻と娘を棄てた無垢な男、北村太郎だったのだ。

 

じつは、以前から、北村の『ススキが風上へなびくような』という作品の中に挿まれていた

「あなた、わたしを生きなかったわね」

という詩語がずっと気にかかっていたのだが、北村が恋に落ちた女性と、数年前に亡くなっていたかれのさいしょの妻の名前が奇しくも同じ《明子》だったと知ったとき、ぼくの疑念は氷解した。そりゃあ、憾みごとのひとつも出ておかしくはない。

北村は、恋焦がれた明子に、もしかしたら、かつての妻の面影を見ていたのかもしれない。まさに『センチメンタル・ジャーニー』だ。


 

 

後年、北村は、アパートで野良猫と気の知れた若者たちに囲まれて,詩の講師などをしながら暮らすのだが、そこで知りあった阿子という少女と交流を深めてゆく。むろん、肉体でのかかわりも含めてのことだ。

阿子は、すでに死病を得ていた北村の手をとり、言う。

「あなたを見送るの、わたしにやらせて」

 まるで、旧い映画の一シーンのようでないか。


 

 

この『荒地の恋』は、はたして北村太郎という詩人の恋と死をめぐる評伝だったのだろうか、それともねじめ正一というひとりの詩人が、北村太郎の詩とその愚直なまでの生きざまをとおして、みずからの詩人としての方途を探り出そうとした《私小説》だったのだろうか。

 

 そのあたりの判断は、読者ひとりひとりの思いと心に託すしかないだろうが、『高円寺純情商店街』や『熊谷キヨ子最後の旅』といった庶民的でコミカルな作風で売ってきたねじめ氏が、それこそ切々と先行詩人たちの奇怪で詩的な?生涯をなぞってゆくような文体で書きあげているのには、つらつら思うに、詩人・ねじめ正一ならではの《けじめ》のつけかたが、やはりそこにあったのではなかったか。

 

 作中、黒田三郎、中桐雅夫、そして鮎川信夫らかつての『荒地』メンバーとの交流と、死別も描かれている。

『荒地の恋』は北村太郎の恋物語の形をとりながら描かれた『荒地』という戦後詩に捧げられたオマージュではなかったのか。そんな気もしないではない。


 

 

ぼくは、今、五十歳だ。

なにも『荒地の恋』をまねるわけではないけれど、せめてもう一度、ハラワタがひきちぎれそうになるほどのエロスと恋に身を焦がしてみたいものだ。

そうすれば、もう一篇くらいはいい詩が書けるかもしれないぞ。


 

     ★


 

 そうだ、ぼくが北村詩のなかでもっとも好きな一篇『おわりの雪』をさいごにかかげて、詩人・北村太郎の愛と魂を悼むとしよう。


 

屋根裏の部屋で
わたしは明かりを消した
障子に黒く
雪がふぶいた
棟木がきしみわたしは泣いた
でももう月だった
鼠が駆けた
虫の骨が飛んだ
むかしの恋よさようなら
ふとんがずれて父も母も死んだ
朝の
青の光に
みどりの森が斜めに流れ
藁が
さわさわ音たてて
わたしの髪に降るのを夢にみた
闇に目ざめてもう一度泣いた

 

                       ねじめ正一『荒地の恋』文藝春秋

      【笑い仮面】