<10.03/02>


辛く、寂しい気持ちには変わりなく、まだ現実を受け止めきれていないけれど、、、少しすっきりしている私がいた。


旦那と話しながら帰る。


「やっぱり最初、障害があるってわかったときはショックが大きくて・・・自分のことで精一杯やったかも知れん。そういう目でみたらいかんって思いながら、実は口先だけで・・・身近にそんな環境がなかったからか、かわいそう、とか、どこか他人事やったんやろうな。自分がその状況になってみて、初めてわかった。かわいいって思えるんやろうか、育てていけるんやろうかって思ったこともあったたけど・・・やっぱり自分の子供はどんな子供でもかわいい。何が何でも、守りたいって思った。」と。


「そうやなぁ。」とうなづく旦那。


「治せるもんなら、何でもしてあげたいって思った。・・・・・・生きているだけで、ありがたかった。」



ハイリスクな妊婦さん、子供が欲しくても授からない人、流・死産を経験した人、大切な人を亡くした人、障害と向き合っている人たちのこと、、、状況が同じではなく、完全にその人たちの気持ちを汲み取ることはできないけれど、いろんなことを思った。



妊娠したことが奇跡。

お腹のなかで育つことも奇跡。

無事生まれ、こうして日々過ごせていることも実は奇跡の連続だ。



「ちょうど、○○(旦那)がこっちにおるときやって立ち会えたし、病院でもずっと一緒に過ごせて。最後も私たち一緒に見送れて良かったよな。お義父さんが来るのも、待ってたんかも知れんな。」



外の世界へ飛び出し、40時間16分を精一杯生き抜いた娘。

親孝行な、頑張り屋さんな娘。

人生は・・・・・・時間じゃないよね。





<10.03/02>


部屋の片づけを手伝ってもらいながら、着替えていつでも退院できる状態に。


旦那と父は、その間に、死亡手続きに行っていた。

出生届を出した翌日に、まさか死亡届けを出すようになるなんて。

届けが出せるのは、住民票や戸籍のある場所、出生した場所だったかな。

私も地元の県であるが、あまり縁もゆかりもない土地。

なんだか寂しかった。

そして、埋葬も、この市で行うこととなった。



気持ちの整理ができていまいまま、いろんなことを決めていかなくてはならない。

こういう場合、どう見送ればいいのか。

業者を頼めば、全てまかせられるが、そんな大々的なものは望んでいなかったので、家族だけの密葬に決めた。何もかもわからないので、病院にいろいろ聞いてみる。

棺や骨壷、ドライアイスを、病院で用意してもらうことができた。

かわいい花柄のお棺・・・手のひらに納まる骨壷・・・とっても小さい。

まさか、自分より先に、子供を見送るようになるとは。



退院のとき、一般の人の前は通らず、裏口から出ることになった。

みんな整列して、その間を通っていく私たち。

娘には、病院がお祝いでくれた、ピンクのケープを着させて・・・。


「お世話になりました。ありがとうございました。」


いろんな思いで、涙が止まらない。

一緒に泣いてくれている看護師さんもいた。


ずっと安静の入院生活で、屋外はおろか、病棟からもあまり出られなかった私。

この日はとても暖かかった日だそうだ。


初めてのお外だね。

お家には連れて帰ってあげられないけど・・・ひぃばあちゃん家で、みんなが待ってくれているよ。






<10.03/02>


日付が変わった頃、みんな病室に集まってきた。


義実家なんて、面会がすんで、家に帰ってほっとひといき・・・のところ、また戻ってきてもらうことになった。

息子はベビーカーに乗せられて、すやすやと寝ている。



結局、洗濯も間に合わなかったので、私が買っていた2WAYオールや、弟にお祝いでもらった服たちを持って来てくれた。ジャストサイズは弟たちにもらった、いちご柄の50cmの短肌着だったが、最期のお洋服・・・お祝いにもらったものをこんな形で、なんてことは気がひけたので、私の選んだお洋服を着せた。

50~60cm用だったので、プッカプカだった。小さな娘が、さらに小さく見えた。


人は亡くなったとき、病院で一夜を過ごさなくてはならないらしい。(病院によるのか?)

だから、すぐに退院というわけにはいかなかった。

ここでいても何もできないから・・・と、夜も遅いし、来てもらったみんなは一旦帰ることに。



親子一緒で過ごす部屋・・・何もかわらないように見える。娘が亡くなったこと以外は。

うっすら空いたままの瞳・・・娘をみるたび、涙がこみ上げてくる。

ママみたいに、半目で寝てるだけみたいなのに・・・。


昨夕、みんなにメールを送ったばかり。

「出産しました。ちょっと心臓が弱くてあまりいい状態ではないんだけれど、一生懸命頑張ってます。」と、写メつきで。


会いに行くよ・・・と言ってくれた友達もいた。

娘の姿にショックを受けるといけないから、「まだ周りにほとんど言えてないんやけど、シビアな状況でいつ急変してもおかしくない感じなんよ。あんまり長く生きられんやろうってことは、生まれる前から言われとるんよ。あまりの小ささにびっくりさせてしまうかも知れんけど。」と返信。

すると、「どんな状況であっても、warawaraのところに新しい命がやってきたのには理由があるんだよ。こうやって顔を見せてくれたことも幸せなことだし、まずは温かく見守ってあげようね。あたしも祝福に行きます。」と言ってくれた。嬉しかった。


でも・・・その友達に会えることなく、娘は旅立ってしまった。



もう娘に飲ませてあげられないのに、母乳はどんどん生産される。張ってカチカチになってきた。

「とめるお薬を出すね。」と看護師さん。

娘に持たせてあげたいから、容器をもらって、最後の母乳を搾り出す。



その後、産婦人科の先生の診察へ。

朝方、娘を見に来てくれて、そっと頭をなでてくれ、私の体の状態を見て、退院できるなら帰ろうか、と言ってくれていた。

内診をすませる。子宮の戻りは順調。

「急だけど・・・事情が事情やけん、一緒に退院しようか。そのほうがいいと思う。病院におっても精神的にしんどいと思う。自宅で安静にしてもらって・・・また診察には来てもらうようになるけど。」とのことだった。



そして、新生児科の担当医がやって来た。

まず合掌・・・そして娘のために、泣いてくれた。

病状・経過説明、死亡原因などを説明される。


このとき初めて、旦那の涙を見た。

ずっと気が張っていたよね・・・今まで、いっぱいいっぱい我慢させてごめんね。