綾塚古墳 -認定されない装飾古墳- | 蕨手のブログ

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左:橘塚入口より望む
右:綾塚入口より望む

 2003年の12月4日、行橋まで所用があった帰りに、巨石墳として有名な京都郡勝山町の橘塚と綾塚を初めて訪問した。両墳とも石室の巨大さと長さで全国的に名を知られた古墳である。同じ福岡県内ではあるが、結構遠いこともあって私は今まで訪問したことがなかったのだ。
 まずは小学校の校庭横にデンと居座る橘塚に立ち寄って石室に入った。確かに凄い、石室の大きさも凄いが、使われた石材の大きさに一番の驚きと畏敬の念を覚えた。さらに綾塚に向かったが、以前から注目していた古墳をやっと訪問する事になって、心がいつになく高ぶっているのを感じていた。綾塚は橘塚以上の規模なのもあるが、70年代にこの古墳に壁画があるという大きく報道された記事を読んだ事があるからだ。
 
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左:装飾について何の記述もない説明版
右:柵越しに望む奥室と石棺

 綾塚は平地と山林の境目に築かれている。長さでは橘塚をさらに上回り、延々と続く羨道の先に巨大な石室が築かれていた。こちらには奥室に大きな石棺が置かれているが、残念なことに前室との境界に鉄格子が設置してあって入れない。壁画の確認も出来なかった。

 ひとしきり観察と撮影をした後で入り口の説明版を読み上げた。「おかしい」そこには文様のことなど何も記述されておらず、ひたすら石室の巨大さのみがクローズアップされた記述があるだけであった。壁画があるとされた過去の発見はどうなったのだろうか。疑問に思った私はまま帰途についた。

 帰宅してからも合点のいかない私は、スカイトレッカー氏の掲示板で経緯を報告したが、誰も壁画の事なんて知らなかった。私は夢を現実と勘違いしたのか?それとも空想癖なのか?

 我慢できなくなってついに勝山町の教育委員会宛に質問のメールを出して帰ってきた内容が次の通りである。

「お問い合わせの件ですが、綾塚古墳の壁画に関する新聞報道は直接、町教育委員が発表したものではありませんが、そのコピーは読みました。壁画の有無を確認するための調査は、新聞報道以後実施しておりませんので、町の文化財担当者としては、彩色が施されているとは認識しておりません。ただし、石室実測を宮崎大学が行った時に、かすかに赤色に見える部分があることは確認しております。しかし、先述のとおり、その有無の確認調査はしておりませんので、「赤色」が単なる鉄分等の付着によるものなのか、彩色ないしは壁画が存在したものかは結論がでていません。」

 呆れてしまった。新聞の一面に壁画が存在したと報道された古墳はこの様にして無視され、そのまま現在まで放置されたままになっているのである。あるのか無いのか調べたくとも柵のために確認することも出来ない。真相は何時明らかになるのであろうか?
 このことに関する掲示板における生の詳しいやり取りはスカイトレッカー氏のサイトの過去ログに掲載されているので興味のある方は覗かれてみると、話の展開や気持ちの浮き沈みが見て取れて面白いかも知れない。