

左 西側より俯瞰する大塚の墳丘、白円で囲んだ当たりに石室の入口が確認されている。前方部は右側に向かって延びていた
右 大塚の巨大さが良く実感出来るスナップ、傍らを通り過ぎるバスと比較してみて下さい!
石室内の調査が実施されておらず、装飾古墳と確認されている訳ではないのですが、私が間違いなく装飾古墳であると断定している田主丸大塚古墳です。以前にも日記の方で紹介した事ありますね。
現在は巨大な円墳状をしていますが、墳丘調査の結果全長100mを越える古墳時代後期の同時代では九州最大(それどころか、全国的にも五指に入る)規模の前方後円墳である事が判明しました。


左 南の山側、丁度前方部の先端部があった当たりから望む残存後円部、どのくらい巨大な古墳であったか実感出来るスナップ
右 平らに削平されてしまった墳頂部から望む大塚古墳公園、左寄りに一基保存された古墳が確認出来る。画像範囲外の右側にも一基残っている
周辺には大塚古墳群と称される多くの古墳がありましたが、ほとんどが破壊されてしまいました。
その中に、二個の装飾石材のみが旧田主丸町役場の傍らの収蔵庫に保管されている 通称「清長橋古墳」 や、
地元の人々に美しい幾何学文様が描かれていた事が記憶されている、現在は所在地すら明らかでない、比較的大型の古墳だったらしい 「納戸塚」 がありました。
そういった装飾古墳を多く含む古墳群の中で同時代に築かれ、特別巨大な規模を誇る盟主墳が装飾古墳で無い事は考えられないと私は断定しています。
くびれ部に設けられた横穴式石室入口への墓道が確認されたままで調査が中断されています。未盗掘墳である可能性があるので、十分な準備をしてから調査したいのかも知れませんが、
せめて、 『私が生きているうちに早く調査してくれよー ヽ(#`Д´)ノ 』 と声を大にして主張したいです。 じれったい!

現地に地立てられた2種類の解説板です。旧田主丸町2001年発行の「田主丸大塚古墳」に詳しい調査の概要が記載されています