
奥壁左隣の2個の靫と太刀
装飾古墳は最初、石室内に置かれた石棺や石障に幾何学文様が描かれることで始まる。そして日ノ岡古墳は直接石室の壁に壁画が描かれるようになった最初の装飾古墳ではないかとも言われている。同心円文が余りに有名であるが、幾何学文様に囲まれて小さいけれど、器物や動物の始まりではないかと考えられる文様が多く描かれているのも特徴である。今回はこういった文様について取り上げたい。
まず、よく目立つのは奥壁の左横に2個、斜め上下に並んで描かれた靫である。どちらも赤で外周をかたどった後、内部を対角線状に白、青等で塗り分けている。大きい靫の隣には太刀も描かれており、柄を青、鞘を白で塗っている。


一番上の画像と比べて下さい。塗り分けは濃い順に青、緑、赤、白
右壁の中央部には舟が描かれている。中心を円弧状に赤でかたどった後、上を青、下を白で三層に塗り分けて舟をかたどる。舟上には何か乗せた表現をしたのか、赤の点が見られるが形ははっきり解らない。右下には二本の線が斜めに伸びており、櫂を表していると思われる。他では一般にゴンドラ形で描かれることが多い中で珍しいが、結構複雑な表現で、小さいながらも味のある舟である。

左壁の少し入口寄りには赤一色で動物らしき文様が描かれており、報告書によると馬であると言われている。線が細く小さいので、他の古墳で描かれたようにハッキリ馬と見分け辛い。

とても珍しい図文として左壁の最上部に描かれているのが魚の文様で、赤で縁取り内外を青で埋めているが、薄れている上に一部石材が欠けており良く観察しないと確認が難しい。

その他、入口の周辺には盾が2個描かれており周溝を持った前方後円墳の平面形のような形をしているが、残念ながら死角に隠れて上から視認することは出来ない。
これらの文様はどれも小さ目で、シンプル(悪く言えば稚拙)な表現で壁画の主役ではないが、今後、王塚、珍敷塚、田代太田、五郎山、竹原と後に行くに従って大きく、精密に描かれ、中心的な文様として発達していく始まりであることを思うと非常に感慨深い。 
公開パンフに付いていた石室、壁画図面、どこにどの文様が描かれているか確認されたい。