アフォリズムとしてのJPOP | クレイジーJPOP

アフォリズムとしてのJPOP

 JPOPをなんのために聞くのか考えたことがあるだろうか?別に意味付けなんか必要ないジャン、とも思うが、たまには考えてみよう。なぜならば、それが書く材料になるから。さらにいえば、書くということは屁理屈の連続だからである。
 子供の頃は短絡思考、大人になったら常識思考では面白い文章というのはいつまで経っても書けない。面白いことを書くには面白い屁理屈、いい言葉でいえば、アイデアが必要なのだ。

 さて、話を戻して、なぜ聞くのか考えた。これは中学生の頃からずっと変わっていない。本を読むのと同じように、勉強するのと同じように、そこから人生におけるなにかを学びとるために聴いていた。単純に、聴いていると気持ちいい、というのもある。
 これは各人の聴き方次第だが、私は詞とメロディーの調和が一番大事だと考えている。気持ちいいメロディーはありすぎて選びきれないが、そこにどんな詞がのせてあるか、またどんなのり方をしているか、という視点で見れば、ずいぶんと絞り込むことができる。

 また話ズレたね。まあ、そういうわけで、人生についていろいろ教えてくれるんだろうと思って10年間聴きっ放しだった。「人生で必要なことはすべてJPOPで学んだ」なんてことは言わないが、たしかにいろいろ教えてはくれた。
 でもね、人間ってそれほど変わらないんだ。例えば、宇多田ヒカルが「Wait&See」っていう歌で使ってる一節。これは自分で探してほしいんだけど、10代でよくそんなフレーズ思いつくなあ、って感心していたら、なんと聖書の一節だったんだよね。これには驚いたよ。聖書の内容が現代でも生きるんだあ、ってね。巷にあふれてる成功法則というのも大部分は聖書が原典らしいのですよ。
 ってことは、いつまで経っても、人間って存在はそれほど変化してないってことでしょ。それでも、JPOPをアフォリズムとして聴き続けてしまうんだよね。それはたぶん、同じ内容を表現するにもいくつもの書き方があるからだと思う。ああ、こんな書き方あったんだ、って驚いたり感心したり、あるいはあざけったりできる。そういう意味では日本語って表現がいっぱいあっていいよね。だから、JPOPはいい、ってお話でした。