1924年、アンドレブルトンのシュルレアリスム宣言から100年、

 

日本は、シュルレアリスムをどう受け止め、どう展開していったのかが、とてもよくわかる素晴らしい展覧会でした。

 

今年観た中で、今のところ一番最高の展覧会でした。

 

まずは、やっぱり、シュルレアというより、ダリの影響の強さが沢山の作品から見られました。

 

・地平線

・ダブルイメージ

・溶けていくもの

・浮かんでいくもの

 

 

 

本当に沢山の作品にそれがありました。

 

やっぱり、戦争が迫ってきて、現実逃避したい、遠くに目を向けたい、今の息苦しさから解放されたい、重苦しい空気を溶かして欲しい

 

なんかそんな思いを感じました。

 

 

杉全直 「跛行」  1938

 

この作品もそうですね。ダリの影響が顕著に感じられました。

 

 

浅原清隆 「多感な地上」  1939

 

現存作品が少ないという、浅原清隆の貴重な作品、ようやく初めて本物見ることが出来ました。

 

いや~~よかったです。

 

ここにも、地平線感じますね。

 

リボンが鳩になり、ハイヒールが、子犬になっていく。

 

まさに戦争が始まる重たい空気の中、そこから抜け出していきたい気分も感じました。

 

 

 

 

靉光 「眼のある風景」1938

 

何度も観ているこの作品も、よく見ると、右のほうに、地平線らしきものがあるんですね。

 

日本におけるシュルレアリスムの受け入れという視点からこの作品を改めてみると、確かに、ダリの影響も感じました。

 

で、そんな中で、今日僕が一番グッと来たのがこれ。

 

 

伊藤久三郎 「振子」  1937

 

まさに、太平洋戦争直前の作品。

 

僕がこの作品から感じるのは、

 

「平和の反対は、戦争ではない、無秩序だ。

戦争の反対は、平和ではない、交流交渉だ。」

 

っていうことです。

 

いくつもの振り子時計は、世界の色んな国なのかもしれない。

 

それぞれに秩序をもって、時間を刻んでいた。でもその秩序が壊れると、バラバラになってしまう。

 

まさに無秩序状態。そこに、時計と時計の交流交渉の余地もない。

 

一見、自由に飛び回り、夢に向かっているようでいて、実は、無秩序に向かっている。

 

まさに戦争は回避できないのか?って思ってしまいました。

 

 

さて、そんなダリの影響も色濃く観られる戦争前夜の日本のシュルレア絵画ですが、

 

戦後になると、ガラリ変わります。

 

そこには、力強さというか、気持ちの強さがよみがえる。

 

 

岡本太郎 「憂鬱」 1947

 

この作品も、一見白旗をあげて降参しているかのようですが、実は、マグマのような怒りを伴った「いつかみてろよ」という強い気持ちが見えてくる。

 

白旗も、白ではなく、銀に見える。銀の旗で、いつかみてろよって言っているかのよう。

 

そこには、「溶けたり、現実逃避で飛んだりはしないし、地平線もない」

 

 

 

 

高山良策 「矛盾の話」1954

 

 

この作品もそう。

 

未来への強い意志を感じる。力強さ、日本人の意地を感じる。

 

 

そして極めつけはこれ。

 

小山田二郎 「手」  1950年代後期

 

 

もうそこには、溶けて行ったり、飛んで行ったりしない。

 

やっぱり日本人は強いな~ってうれしくなってしまう。

 

まだまだ苦しいけど、いつか見てろよが、前に前に向かっている。

 

 

いや~、素晴らしい展覧会でした。

 

展示替えもあるし、もう一回は行きます。