今、大河ドラマ「光るきみへ」で、源氏物語が評判になってますが、

 

『古事記』や『源氏物語』に出てくる係り結びは、江戸時代には読解できなくなっていたんですね。

 

江戸時代、松坂の、のちに医者となる、本居宣長がその法則を発見したことで、現代人も日本語の古典を読めるようになったんですね。

 

もし、本居宣長がいなかったら、現代に、源氏物語は伝わってなかったかも??ですね。

 

さて、本居宣長と、国学のことを振り返ります。

 

 

本居宣長は、契沖の文献考証と師・賀茂真淵の古道説を継承し、国学の発展に多大な貢献をしたことで知られてます。

 

本居宣長は、真淵の励ましを受けて『古事記』の研究に取り組み、約35年を費やして当時の『古事記』研究の集大成である注釈書『古事記伝』を著したんですね。

 

 

朱子学が隆盛を極めていたころ、元禄時代(1688~1703)に、国学の源流の学問の流れが出来ました。

 

戸田茂睡  制の詞(ことば)を批判

下河辺長流 万葉集に独創的な注釈を加える

北村季吟  綱吉の時代に、幕府初代歌学方となる

 

 

そして、国学の祖となったのが、契沖 「万葉代匠記」です。

 

その後、荷田春満(かだのあずままろ)が、「創学校啓」を書いて、徳川吉宗に、国学の学校を作ることを意見したが、無視されます。

 

で、賀茂真淵が、「万葉考」「国意考」をあらわし、

 

本居宣長が出てくるんですね。

 

「古事記伝」

「玉勝間」 随想集

「日本玉くしげ」 政治経済論

「源氏物語 玉小櫛(たまのおぐし)」

 

 

「源氏物語 玉小櫛(たまのおぐし)」により、『源氏物語』が、それまでの中世的な伝承に支配された好色の戒め説や、仏典との関わりから解き放たれ、純粋な物語として読むことが出来るようになった意義は非常に大きい。近代以降の源氏学の基礎を築いたと言える書です。

 

 

なんといっても、古代日本人が持つ、美的価値観、「もののあわれ」論を展開したんですよね。

 

国学の流れは、復古神道の平田篤胤、塙保己一、伴信友に繋がっていきますね。

 

 

(国学の、花壇に、カモ降り、種をまく。花は伸ぶとも、大和心に)