日清戦争後の、下関条約、台湾総督府の初代総督は、薩摩出身で、蛮勇演説をした、樺山資紀だった。

 

 

台湾統治の主要な三人は、

 

 

台湾では/カバ子どもの/強盗心配

山資紀(かばやますけのり)・児玉源太郎)(後藤新平


1.日本の台湾支配は,初代総督樺山資紀についで、4代児玉源太郎のもとで後藤新平が民政に力をそそいだ。

 


1.日本は、1895年下関条約台湾澎湖諸島を清国から割譲された。これに対し現地台湾では反日抵抗運動が発生、一時台湾民主国の成立が宣言された。

2.しかし日本は軍隊を上陸させ、抵抗運動を鎮圧し、植民地支配をすすめた。台湾総督府を設置、初代総督に樺山資紀が就任させ、武断的植民地支配を開始した。歴代の台湾総督には陸海軍の大将・中将が任命され、軍事指揮権のほか、行政・立法・司法に大きな権限を持った。

3.1898(明治31)年以降、第4代台湾総督児玉源太郎の下で後藤新平による、現地の実情を考慮した民政政策がすすめられ、土地調査事業を通じ土地制度の近代化を進められた。また、台湾銀行台湾製糖会社を設立するなど、産業の振興もはかられた。

4.台湾の支配は、現地の地主・商人などの富裕層を懐柔しながら進められたが、その一方で貧農などの民衆は日本の支配への抵抗を続け、たびたび反日武装蜂起をおこした。日本はこれに対して徹底した弾圧でのぞみ、その支配は1945(昭和20)年まで続いた。