冷泉 為恭(れいぜい ためちか、1823年10月20日〈文政6年9月17日〉- 1864年6月8日〈元治元年5月5日〉)は、幕末期に活躍した公家召抱えの復古大和絵の絵師です。
三代にわたる京狩野の家系なんですね。
早熟で、17歳で既に画才に優れ、89種もの絵巻物を模写していたといいます。
最高級の絵の具を惜しげも無く用いた濃彩画を得意としたが、障壁画や白描画、仏画にも当時としては傑作といわれるほどの名画を残しています。
江戸幕府側とも交流があったため、尊王攘夷派から敵視され、数え年42歳にして殺害されてしまったんですね。
さて、冷泉といえば、冷泉天皇を思い出しますね。あの安和の変で、藤原北家の他氏排斥が完成し、以後藤原氏の摂関常置となった時の天皇ですね。
しかし、なんと!冷泉は許可を得ず、勝手に名乗っただけで、冷泉家とは縁もゆかりもないそうです(笑)
安和の変、復習しておきましょう。
安和の変(あんなのへん)は、平安時代の969年(安和2年)に起きた藤原氏による他氏排斥の仕上げ事件。
(あんなクロック)
(冷泉、実頼、あんなクロック、他氏排斥仕上げ、摂関常置)
源満仲らの謀反の密告により左大臣源高明が失脚させられた。以後、摂政・関白が常置されることとなった。
時の天皇の冷泉天皇には精神的な病があり、実見は、天皇の外戚でもないのに摂関の藤原実頼だった。
これで藤原氏の他氏排斥は終わり、以後藤原家の内紛が、藤原道長まで続く。
天皇
宇多ー醍醐ー朱雀ー村上ー冷泉
宇多と醍醐の時天皇親政。 冷泉で摂関常置となる。