19世紀の風景画の隆盛。

この時代は、産業革命の進展で裕福な市民が出現し、彼らにとってわかりやすい「風景画」が求められていたんですね。

しかし、アカデミズムの世界では、まだ風景画は歴史画に比べて低い位置に置かれたまま。

そんな中で、革命的な役割を果たいしたのがヴァランシェンヌだったんですね。


1800年に、ヴァランシェンヌが風景画についての本を書き、それがミシャロン、コローと受け継がれ、1842年にチューブ入り絵の具が開発され、印象派に繋がっていくんですね。


ヴァランシェンヌが風景画についての本を書いた同じ1800年に始まったランス美術館の所蔵展「風景画の始まり」の図録を元に、ちょっとまとめてみます。

 

 

 




フランスの古典主義が確立した17世紀には、ニコラ・プッサン(1594~1665)やクロード・ロラン(1600~1682)という素晴らしい風景画を残した作家がいたが、彼らは人間中心主義のヨーロッパの世界観が根強く居座っていたんですね。


フランス革命を経て、1800年という区切りの年に、


ピエール=アンリ・ド・ヴァランシェンヌ(1750~1819)が、「芸術家のための実用遠近法入門および画学生とくに風景画をめざす学生のための省察と忠告」を出版。
風景画を描く若い画家たちに向けての、自らの経験を踏まえての教訓と助言が綴られています。


ヴァランシェンヌで最も重要な論点は、「肖像的風景画」という考え方を打ち出した点です。
プッサンやロランの描く「英雄的風景画」とか「田園的風景画」と呼ばれる風景画では、そこで人物たちが繰り広げる物語が中心であり、風景はその物語を引き立てるための材料に過ぎなかった。それに対して「肖像的風景画」は、まるで人物の肖像を描くように、風景を理想化することなく忠実に描き出した作品を指示する言葉だったんですね。


ヴァランシェンヌは、戸外制作の大切さ、自然をよく観察すること、そして「旅」の重要性を説いていて、確かにその後の風景画家たちは、よく旅していますね。



そしてようやく1817年にローマ賞に「歴史風景画」部門が設立され、その第一回の受賞者が、ア
シル=エトナ・ミシャロン(1796~1822)だったんですね。

 




1822年、ミシャロンは、コローと同い年ながら、
カミーユ・コロー(1796~1875)の最初の師匠となるんですね。しかし、その年に、ミシャロンは26歳で亡くなってしまいます。コローは、その後、ジャン=ヴィクトール・ベルダン(1767~1842)のアトリエで3年間学ぶんですね。


コローにとって、本当に評価が問われるのはアトリエで描く完成作の方だと考えていました。
この姿勢を最後まで保ったため、コローは、あくまでも過渡期の風景画家とみなされているですね。

コローの幾分靄のかかった画面に、さらに歴史風景画に執拗な古代の人物を思わせる人々が描き込まれていることから、ロマンチックな雰囲気を持っていますね。


戸外制作において重要だったのは、チューブ入り絵具の開発ですね。



1842年に、イギリス在住のアメリカ人画家ジョン・ランドによって真鍮製押し出しチューブ入り絵具が開発されました。


ちなみに、クロード・モネが生れたのが、1840年で、ルノワールが生れたのが1841年ですね。


これによって、印象派の、戸外制作を感性作とする近代的な意味での風景画が成立するんですね。

 

 

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