1874年といえば、第一回の印象派展があった重要な年ですよね。
さて、その年の日本はどんな状況だったのでしょうか?
日本では、1874年その年、自由民権運動の始まりがあった年でした。
前年の1873年に、森有礼、福沢諭吉らによって、近代的な思想を広めようとする啓蒙思想団体、明六社ができ、
1874年には、日本初の政党、愛国公党が結成されます。
メンバーは、江藤新平、板垣退助、後藤象二郎、副島種臣らですね。
この愛国公党が出した建白書が、民撰議院設立の建白書です。これが自由民権運動の始まりと言われているんですね。
愛国公党のメンバーの一人、江藤新平は、新政府には言論で戦うものとみられていましたが、不平士族に迎えられて佐賀に戻り、1874年反乱し、佐賀の乱を起こすんですね。
戦いに敗れた江藤新平はさらし首になりました。
一方、征韓論に異を唱えた大久保利通は、政権の座に就くと、強気に出て、1874年、台湾出兵するんですね。
これは、その数年前に、琉球住民が台湾の原住民に殺害されたことを理由とする出兵だったんですね。
この時指揮を執ったのが、征韓論を唱えていた西郷隆盛の弟・西郷従道だったというのは皮肉です。
最終的には、駐清イギリス公使ウェードが調停し、この時に、宮古島が日本領となるんですね。
台湾出兵に反対した木戸孝允は「征韓論とどこがどう違うんだ!」と下野します。
佐賀の乱で、愛国公党は事実上解散し、高知で、1874年、立志社が結成されます。
社長は片岡健吉。板垣退助も社員です。
また、1874年には、屯田兵制度も始まります。
いやー、1874年も激動の年ですね。