「タマビDNA」 多摩美術大学美術館
に行ってきました。
緊急事態で、都内の美術館、ほとんど休館の中、奇跡的にここはやっていました。ありがたやありがたや。この美術館に行くのは二回目です。
多摩美術大学日本画専攻は、本学の前身である帝国美術学校(1929年創立)の日本画科・西洋画科・工芸図案科の三本柱の一つとしてはじまったんですね。
多摩帝国美術学校の開校(1935年)より安田靫彦が特別顧問を務め、4年制大学への昇格を経て、本学日本画専攻の92年にわたる歴史の礎が築かれたんですね。
そして1963年に加山又造が着任し、その2年後に横山操が招聘されたことで、専攻のあり方が大きく変化したそうです。
この個性あふれる魅力的な二人が手を携えて教鞭を執ることにより、日本画の因習や伝統に捉われない自由な発想による日本画教育が生まれたのだそうです。
タマビにとって、加山、横山の精神はその後受け継がれていったのですね。
1929 帝国美術学校創立
1963 加山又造、市川保道着任
1965 横山操着任
1969 上野泰郎着任
1970 掘文子着任
1973 中野嘉之着任 横山操逝去
1979 米谷清和着任
1987 松尾敏夫着任
1994 平松礼二着任
その後、戸田康一、宮いつき、岡村桂三郎、千々岩修、加藤良造、八木幾朗 ら着任。
今回は、加山、横山の指導者としてどうだったかも証言映像で紹介されていました。
加山、横山は、権威主義を嫌い、自由放任の指導方法をもって、多彩な才能を育てたんですね。
どちらかというと、横山操の方は、生徒たちに基礎を確実に身に着けさせるために、自ら基礎の実践を示したそうです。
加山の方は、どちらかというと、一人の天才を探り出すような感じだったそうです。
ムサビなどだと、どこか教授に似た作品を描く学生が多い気がしましたが、タマビは、全然そんなところがないですね。
だから、「これがタマビっぽい作品」というのはあまりないように思いました。
素晴らしい作品沢山ありました。
ダチョウで有名な、福井江太郎
外から見える、顔の部分は涼しげで、かわいい。でもその陰では、下の方では懸命な努力がある。
ほとばしるエネルギーがみなぎっている。素晴らしい。
北村さゆり
伊東正次
FACE展で観た、杉田悠介
いやー、タマビ。素晴らしいです。
詳しい感想は、その2、非公開秘話で。