「ヨコハマポリフォニー 1910年代から60年代の横浜と美術」
https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20201114-568.html


コレクション展の方はこれでしたが、今回の展示で、約2年の休館になる前の気合の入った横浜ならではの展示。

正直、これがメインの特別展でも全くいいでしょ?という素晴らしさでした。



まずはHPより
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「ポリフォニー」とは、独立した複数の旋律とリズムの声部から成る「多声音楽」を意味します。横浜美術館の長期休館前最後のコレクション展となる本展では、1910年代から60年代に横浜で育まれた作家たちの声と創作の響き合いに耳を傾けながら、横浜を磁場としたアートシーンを探訪します。

本展が着目する60年間に、日本では明治から大正、さらには昭和と元号が変わり、関東大震災と第2次世界大戦が多くの街に甚大な被害をもたらしました。横浜もこの間2度にわたって灰燼(かいじん)に帰し、そこから復興を成し遂げたという意味において、激動の時代でした。

この時代の美術の流れを俯瞰(ふかん)すると、横浜では東京を中心とした美術史の大きな流れと連動した表現が生み出されてきた一方で、進取の気性に富んだ港町ならではの個性ゆたかな才能や人的ネットワークが育まれたことが分かります。

 

開港以降、西洋文化の窓口であった横浜は、幕末・明治期に五姓田(ごせだ)派を中心に洋画技法を国内でもいち早く受容し、日本における洋画の揺籃(ようらん)の地となりました。

 

それに続く大正・昭和期の横浜における美術の動きは、1919年の横浜美術協会の発足をひとつの起点とし、美術を支える組織が整い始め、作家たちによる自立的な運動が成熟していきました。

1960年代になると、1989年に開館した横浜美術館誕生の布石となる動きもあらわれてきます。

本展では10章構成で横浜とゆかりある作家たちを中心に光をあて、彼らの証言や表現、関係の深い作家による創作の連なりを約150点の所蔵品により追うことで、横浜の地をひとつの手がかりに、およそ60年の美術を複眼的に捉えることを試みます。

 

岸田劉生らとフュウザン会に所属した洋画家・川村信雄のもとに集まった洋画家たちの熱気、伊東深水や川瀬巴水らによる新版画と横浜との関係、奥村泰宏や常盤とよ子が活躍したハマ展写真部創設前史や、イサム・ノグチと岡田謙三の友情にまつわる物語など、横浜を磁場としたアートシーンの魅力を再発見するまたとない機会になるでしょう。

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ということです。


全く横浜ってやつは凄いぜ。
横浜ゆかりの・・・っていうだけで、これだけのものが揃うんだもんな。凄すぎました。


ずずっと紹介します。


有島生馬 「背筋の女」

 




セザンヌ

 




 

 

岸田劉生 「椿君の肖像」



何度も観ていますが、こんな風に描いてもらった椿さん、本当にうれしかったでしょうね。

 

椿さんの内面までみごとに描いている感じがにじみ出ていますね。

 

やっぱり、僕が今のところ、古今東西一番好きな画家は、岸田劉生ですね。

 

 

 

 

椿貞夫 「夏蜜柑図」(1939)

 



やっぱり、この染付の皿と、夏蜜柑の対比。

何度見ても見飽きない、毎日でも見ていたいって感じがしますね。

夏蜜柑一つ一つに、名前つけたいぐらいだ。

 

 


河野通勢 「自画像」(1918)



川村信雄 「早春風景」


 

 

 

フュウザン会結成に参加し、のち横浜に転居したんですね。

 

あー、なんとなくだけど、セザンヌの色合いに似ているなー。

 




里見勝三 「ポントワーズの雪景」(1925)

 




何度か観ていますが、いやー、これは好きだなー。今日のコレクション展でのMVPはこれです。
たまらなく好きです。


佐伯祐三 「滞船」(1926)




やっぱり、いいなー。いつまででも見ていられるなー。欲しくなるなー。

 


川口軌外 「作品」 (1925)



中村研一 「ジャンヌ・マリー・ジャクレーの肖像」 (1924)

 




木下孝則 「樹陰読書」 (1921)

 




石渡江逸 「鶴見の観音」 木版

 




奥村泰宏(たいこう)「ベビーブーム」 写真

 



写真のジャンルは、まだまだ全然よくわからないのですが、奥村泰宏の作品には、なんかぐいっッと惹きつけられるものがありましたね。

 

この作品、色々考えさせられますねー。

 

「避妊はどうしたら調節できるのか」・・・昭和の懐かしくいい面ばかり、昭和ロマンみたいに語られるけど、避妊という視点で、昭和ってもう一度問い直してみたいって思う。

 

「十九歳の地図」って映画を観た時も思ったけど、今の時代に語られる昭和って、懐かしくて美しい昭和しか描かれないけど、今から思うと、ああああ・・・っていう昭和も沢山あったよね?

 

奥村泰宏の作品からは、そうゆう、今の時代にあまり語られていない昭和の真実が見えてくるような気がします。



岡田謙三作品。






 

 

 

 

 

岡田謙三の良さは、正直まだ、咀嚼しきれていないのだけど、色んな色、つまり色んな経験知識が積み重なって、一つの形になっているような重層的な表現を感じます。

 

 

斎藤義重

 




「もの派」の先生ですね。


兵頭和男 「自画像」(1945)

 




川村信雄 「たけかんば」 (1964)

 




江見絹子 「三立婦」 (1953)

 



凄いなー。凄いです。

 


江見絹子 「土」 (1955)



山中春雄 「退屈な二人」(1954)


 

 

ベルナール・ビュッフェに影響を受けた山中春雄、知人男性に刺されて死んだんですね。



この作品凄く良かったです。凄かったです。


兵頭和男 「赤い布と水差し」 (1975)





 

 

 

 

元永定正 「作品」

 




白髪一雄 「梁山泊」 (1967)


 

 

 

三尾公三 「昏れて後」(1989)


 

 

吉村益信 「大カラス」(1969)


 

この、大カラスを見ると、カラスは猿と同じぐらい知能が発達しているっていうけど、なんか「猿の惑星」を感じてしまうんだよね。

 

僕は、人間として、負けてたまるかって思うけど、今日も、これだけ古今東西人間の文化の発達って凄いな、凄いもの生み出してきたなって思うけど、では今後はどうなんだろう?

令和以降、人類は、これまで以上の文化文明を生み出せるのか?って考えると、

 

・・・ちょっと、今の人間、文化的には落ちてないか?という懸念も少々感じる。

 

で、もし人間が文化が落ちてしまうとしたら、猿やカラスに負けてしまうのでは?という疑問も感じる。

 

芸術にしても、現代の芸術家たち、凄いと思うし、尊敬もしていますが、愛知トリエンナーレなんかみると、ちょっと本気で真剣になんとかしろよって感じもしないでもない。

 

 

この大カラスに人間はまけてしまっていいのか?

 

 

えーと、

 

「神は人の敬において、その威をまし、人は神の徳によって、運をそう。」

 

芸術家も、一般の人たちの敬においてその威をますのだと思う。

 

応援します!

 

 

アートは人類を救う!!!

 

 

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