「岩崎文庫の名品ー東洋の叡智と美」 東洋文庫ミュージアム

http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/iwasaki2020-detail.pdf

 

に行ってきました。

 

毎回満足度の高い東洋文庫ですが、今回もとっても良かったです。

 

今回は、平安貴族の必修書物である国宝「史記」から始まり、

 

「古活字版」

絵入りの写本、「奈良絵本」・・・なぜこの名前になったのかは不明だそうだ。

 

そして、江戸時代の浮世絵まで、岩崎文庫の名品の数々を拝見することが出来ました。

 

バッと画像紹介します。

 

 

鈔本(しょうほん)と読むのです。

 

 

 

「古活字版」について、

 

近世に入ってから行われた活字版をいう。代表的な活字版には2種あり,朝鮮から入ってきたものと,イエズス会宣教師がもたらしたものとである。文禄1 (1592) 年の文禄の役に際して,遠征した日本軍が朝鮮から活字による印刷術を伝えた。それによって,後陽成天皇が同2年に勅版「古文孝経」を印刷した。一方,イエズス会の宣教師は,天正 18 (90) 年活字印刷技術を伝え,教義書の翻訳や日本の古典の印刷に使用された (→キリシタン版 ) 。古活字版は,江戸時代前期の慶長~慶安 (1596~1652) の頃まで印刷の主流であり,主として木活字が使われた。

 

1592年,文禄の役(文禄・慶長の役)の時,朝鮮から日本に初めて銅活字が渡来,その影響で木版印刷に代わって銅活字,木活字による印刷が盛んとなり,角倉素庵,本阿弥光悦らの嵯峨本などを生みつつ,寛永年間以後,再び木版印刷が盛んになるまでおよそ50年間続いた。その間,すなわち朝鮮活字渡来以後,慶長・元和年間に及ぶ活字印刷本を古活字版と呼ぶ。

 

 

ということです。

 

古活字版の特徴は、出版者が、寺院だけでなく、天皇、権力者、学者、商人など多様化し、ジャンルも幅広くなったことのようです。

 

 

 

 

 

 

 

これが実に美しかった。

 

この嵯峨本の古活字版は、本阿弥光悦が関わっていると言いますが、この鹿は、もしかしたら俵屋宗達が関わっているのかな??

 

 

これよ。

 

 

 

 

 

 

 

つづきます。

 

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