早春図
郭煕(かく き、約1023年 - 約1085年)は、北宋の山水画家です。日本の平安時代です。
北宋の画家は「色」を捨て 「墨」だけで画を描き始めます。「早春図」はそんな東洋水墨画の頂点であり、原点です。
神宗に取り入れられるが、神宗死後の活動記録は少ない。支持者を失い、技巧主義的な郭煕の絵は士大夫達の美意識とは合わなくなっていったようです。
既に徽宗時代には忘れ去られようとしており、鄧椿が著した『画継』には、郭煕の壁画や屏風は宮殿から撤去され廃品として扱われた逸話が見えるそうです。
郭煕の画論は、息子の郭思が、「林泉高致集」にまとめ、その序において、有名な三遠法の理論が述べられています。
『林泉高致集』には、北宋の画家の自然観、山水画の技法、地方画風を集大成させた総合様式など、《早春図》の技法とともに書かれており、山水は常に“気”(生命)を帯びて生きていると郭煕がとらえていたことがわかる。
明代末に文人であった董其昌(とうきしょう、1555-1636)は、文人画(士大夫の画風)を絵画の最高の様式として「南宗(なんしゅう)画」と命名し、それに対して「北宗(ほくしゅう)画」(院体画〔宮廷画院の画風〕)を唱え、中国画の系譜を二派に分けて『画禅室随筆』に書き残しました。李成・郭煕に由来する華北系の李郭派は力強い構成が特徴の北宗画、董源(とうげん、生没年未詳)・巨然(きょねん、生没年未詳)に由来する江南系の董巨派は柔らかい筆跡が特徴の南宗画に分類されました。
中国絵画
●宋(960~1279)
北宋 范寛(はんかん)、郭熙(かくき)、李唐 力強い構成
董源(とうげん)、巨然(きょねん) ・・・柔和な山水画
〇 范寛 「渓山行旅図」
〇 郭煕 「早春図」、郭煕の画論を息子の郭思がまとめた「林泉高致集」で
、三遠法の理論が述べられる。
南宋 李唐、劉松年(りゅうしょうねん)、馬遠、夏珪、梁楷、
1127年
〇モチーフを画面の一方に片寄せた辺角構図を取る馬遠や夏珪の山水画は、単
純明快な構図と精緻な再現性を特質とする。
〇梁楷の筆数を省いた簡略な人物がは、「減筆体」と言われる。
〇南宋の絵画は日本で人気。
960年(苦労丸めて趙匡胤、北宋)
1127年(日々受難で、宋、南渡)
●元(1271) (家にない元なま)
牧谿 「観音・猿鶴図」 足利義満収蔵品
玉澗
元末四大家(文人画) 黄公望、呉鎮、倪さん(げいさん)、王蒙
〇文人画は、北宋の蘇軾らに始まる
〇自由でおおらかな、逸格画法
〇文人画の最盛期は元時代。
●明(1368) (勇むや、明の朱元璋)
戴進(たいしん) 「浙派(せっぱ)」 雪舟が浙派
様式を学ぶ
呉偉、張路 「狂態邪学派」 粗放な筆致
明代文人画 沈周、文徽明、唐寅、 「呉派」
董其昌 「南北二宗論」 グロテスクな山水画
●清(1636~1912) (いろいろ、寒さ、しんしん)
清代前期 「四王呉うん (しおうごうん)」 明代呉派文人画の正統
を伝え る、清代には、文人画が主流となる。
王時敏(おうじびん)・王鑑・王き・王原邪(おうげんき)・呉歴(ごれき)・ うん 寿平 (うんじゅへい)
八大山人、石濤、きょう賢・・・奇想に富んだ画家
清代中期 「揚州八怪」 江南地方の経済発展を背景に個性的な画家出る。
〇清代前中期に、イタリア人のジュゼッペ・カスティリオーネが康熙帝、雍正
帝、乾隆帝の3帝に仕え、中国の伝統的な絵画に西洋画法を折衷した独自の絵
画を展開。
〇1731~33年、沈南蘋が来日。鶴亭や宋柴石(そうしせき)など、南
蘋派を形成する。