原 弘(はら ひろむ、1903年6月22日 - 1986年3月26日)は岐阜県恵那市出身の、昭和期の日本を代表するグラフィックデザイナーの先駆者一人です。
原のデザインスタイルは理論的に組立てるもので、作家性のあるものではなく、依頼者側に立ち、装幀、ポスター、パッケージなどを数多く手がけたのですね。
生涯に手がけた出版物の総数は、雑誌の表紙デザインなども含めれば、おおよそ3000点近くにもおよびます。
特に装幀において高く評価されていて、美術評論家の勝見勝は原を『ブックデザインの天皇』と評しています。
原は日本デザインセンターの創設に参画しています。
日本のデザインは、明治以降、美術や工芸と共に「図案」という領域で確立されていく。
1930年代には、バウハウスに留学した人材も教育者となり、戦前のグラフィックデザインに至っては、グラフ誌「NIPPON」に代表される、国際的にも評価される質の高いものを生み出しました。
1951年には戦前から活躍する原弘を始め、亀倉雄策や河野鷹思ら商業美術を生業とするデザイナー70名による、日本宣伝美術協会が発足され、グラフィックデザイン発展の中心的役割を担った。
同協会の公募展は、田中一光や粟津潔、横尾忠則ほかの多数の若手デザイナーを輩出した。
1952年には、東京アド・アートディレクターズクラブ(現東京アートディレクターズクラブ)が創立される。
「デザイン工房」と呼ばれるデザイナー集団が誕生し、1950年代にはデザイン専業企業の先駆・日本デザインセンターも設立されたんですね。